第05話:最後の糸
「月宮さん、どうやらあのピンクダイヤモンドは、持ち主に災いをもたらす呪いでもかかっていたようですね」
車の中で、隼人の軽やかな冗談が美咲の緊張をわずかにほぐした。美咲は小さく微笑む。この人は、暁斗とは全く違う優しさを持っていた。
「ありがとうございます。お名前も伺わずに……」
「夏川隼人です。先ほど展示ホールでお話しした」
そうだった。あの収集家の方だ。美咲は改めて隼人を見つめた。上着を肩にかけてくれた時の、その自然な優しさ。暁斗だったら、美影以外にこんな配慮をしただろうか。
病院の玄関が見えてくると、美咲の体が強張った。
あの白い建物。消毒薬の匂い。両親を失ったあの日の記憶が、鮮明に蘇ってくる。
「大丈夫ですか?」
隼人の心配そうな声に、美咲は我に返った。
「すみません。病院が……少し苦手で」
「無理をなさらず。私がついていますから」
診察室で、医師が美咲の膝を診察していた。
「ガラス片が深く刺さっていますね。感染症の恐れもあるので、抗生物質の点滴を受けていただきます」
点滴。病室。
美咲の顔が青ざめた。あの日、両親が運ばれた病室と同じような場所に、自分が横たわることになるなんて。
「先生、どうしても点滴が必要でしょうか?」
「傷が深いので、念のため。一時間ほどで終わります」
医師の言葉に、美咲は仕方なく頷いた。暁斗のために受けた手術の時も、このトラウマを乗り越えたのだ。今度も耐えられるはず。
病室のベッドに横たわりながら、美咲は点滴の針を見つめていた。透明な液体が、ゆっくりと体内に流れ込んでいく。
携帯電話が鳴った。親友からのメッセージだった。
『美咲、これ見た?』
添付されたリンクを開くと、ネットニュースの記事が表示された。
『夜刀グループ御曹司、美女とのデート現場をキャッチ!』
写真には、暁斗と美影が腕を組んで歩く姿が写っていた。記事の下には、夜刀グループの公式アカウントが「いいね」を押している。
美咲の手が震えた。これは暁斗の意向だ。もう隠すつもりもないということ。
その時、病室のドアが開いた。
「美咲」
暁斗の声だった。振り返ると、美影を壊れ物のように支えながら入ってくる暁斗の姿があった。
三人の視線が交錯する。気まずい沈黙が流れた。
美影が美咲に近づいてきた。
「美咲さん、大丈夫?心配していたのよ」
わざとらしい心配の声。その瞬間、美影がバランスを崩したように体を傾けた。
「きゃあ!」
美影が床に倒れ込む。まるで美咲が突き飛ばしたかのような状況が作り出された。
「美咲!いい加減にしろ!」
暁斗の怒声が病室に響いた。美咲の心臓が止まりそうになる。
「美影、大丈夫か?」
暁斗は美影を抱き起こし、心配そうに見つめる。美影は暁斗の胸に顔を埋めながら、美咲に向けて勝ち誇ったような視線を送った。
美咲は自分が、まるで二人を引き裂く悪役のように感じられた。焼け付くような苦い感情が、胸の奥からこみ上げてくる。
もう耐えられない。
美咲は点滴の針を自分で引き抜いた。血が滲む。
「どこへ行く」
廊下で暁斗が追いかけてきた。しかし、その声に心配の色はない。
「薬膳スープを作って持ってきてくれ。美影がかなり衰弱している」
美咲の足が止まった。
「今日倒れた一件だって、元はと言えばお前がわざとやったことだろう」
事実無根の非難。美咲の膝の傷から再び血が滲んでいたが、暁斗はそれに気づかない。美影のための個室手配に夢中になっている。
その時、美咲の中で、張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて切れてしまった。
すべての悔しさも、やるせなさも、この瞬間、霧のように消え去っていった。美咲はただ、この茶番を一刻も早く終わらせたいと、それだけを願った。