第9話:死してなお続く拒絶
[氷月刹那の視点]
火葬室の前で、俺は一人立ち尽くしていた。
雫の身体が炎に包まれている。
3時間。
それが、俺と雫の最後の時間だった。
「ステージ4の膵臓がん。3ヶ月前に見つかったんだそう」
かえでの声が、まだ耳に残っている。
3ヶ月前。
俺が綾辻と新居の話をしていた頃だ。
雫は一人で、死の宣告を受けていた。
「なんで......なんで俺に言わなかった......」
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橘かえでは火葬室の外で、雫の遺品を整理していた。
古い日記帳、結婚指輪、そして一通の封筒。
封筒には【遺言状】と書かれている。
かえでは封筒を開き、中身を確認した。
雫の几帳面な字で、短い文章が綴られていた。
『氷月に、私の遺体と骨には一切触れさせないこと。』
『墓参りも、一切禁止する。』
『私は、死んでからも彼に会いたくない。』
かえでは遺言状を握りしめ、涙を拭った。
「雫......あんたは最後まで......」
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[氷月刹那の視点]
「雫は......あんたなんかに伝えたくなかったんだよ」
かえでの言葉が、胸に突き刺さる。
「もしくは、もう完全にあんたに見切りをつけていた」
見切りをつけていた。
俺は壁にもたれかかった。
そうか。
雫は、俺を諦めていたのか。
記憶が蘇る。
プロポーズの日。
桜並木の下で、俺は雫に言った。
『一生愛している。絶対に、お前を悲しませない』
嘘だった。
全部、嘘だった。
俺は雫を悲しませ続けた。
綾辻との不倫。
家庭への無関心。
仕事を理由にした逃避。
いつの間にか、俺の心は雫から離れていた。
そして雫も——俺から離れていった。
一人で病院に通い。
一人で死の準備をして。
一人で、すべてを諦めた。
「俺が......俺が殺したんだ......」
膝から崩れ落ちる。
炉の前で、俺は叫んだ。
「俺が悪かった.....ほかの女なんて、いらなかった......俺は、雫、お前だけを愛してたんだ.....!」
「もう一度チャンスをくれ!今度こそ、お前だけを愛する!」
炉は静かに燃え続けている。
答えは返ってこない。
もう、永遠に。
3時間後。
職員が骨壺を差し出してきた。
「お疲れさまでした」
白い骨壺。