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2.3% 翡翠の令嬢は、名門の寵妻になる / Chapter 9: 好きだよ

章節 9: 好きだよ

編輯: Pactera-novel

夜通しの勉強の成果――それは、両目の下にできた見事なパンダのようなクマだった。

どんなにコンシーラーで隠そうとしても無駄。しかも、一晩中がんばったわりに、頭に入った内容はほんのわずか。

夜中、何度も母が部屋を覗いて「もう寝なさい」と声をかけたが、詩織の性格を知っている母には、それが無駄だとわかっていた。

――生まれ変わった人生で最初の目標。こんなところで諦めてたまるもんか。

「やっぱり……焦っちゃダメか。」一晩やってみて、詩織は悟った。一気に完璧になれる人間なんていない。一歩ずつ、少しずつ。焦りすぎれば、かえって遠回りになる。

どうやら転生も万能ではないらしい。たとえ特殊能力があっても、それが勉強に使えるとは限らない。

目の前の教科書をぱたりと閉じ、詩織は深く息をついた。

今日は、七年前のクラスに戻る日――胸の奥が、少しだけざわめく。でも、もうあの「気弱な夏目詩織」は過去の自分だ。

「お母さん、お父さん」

リビングに出ると、朝食の香ばしい匂いが広がっていた。

「一晩中起きてたんでしょ? 無理しないで今日は休んだら?」

母の声は優しいが、詩織は小さく首を振る。

「大丈夫だよ」前世では、デザイン画仕上げるのに二晩徹夜したこともあるんだから。

「……そう。じゃあ無理はしないで。もし気分が悪くなったらすぐ電話しなさいよ」

「分かったよ」

「さあ、早く食べなさい」

朝食を済ませ、家を出る。

通っている高校は市内でも中堅どころ。家からバスでわずか十分。通学にはちょうどいい距離だった。

月曜の朝――通勤通学の人たちでバスは満員。

 特にこの11番線は、剛毅高校の生徒が多い。

「ふあぁ……」

詩織は最後部の席に体を押し込み、少しでも目を閉じようとした。

朝食後は大丈夫だったのに、今になって急に眠気が押し寄せてきた。

バスが静かに揺れる中、ようやくウトウトしかけたその時――

誰かが彼女の制服の袖をぐいっと引っ張った。

「ねぇ、夏目詩織!昨日どういうつもり?あたしのノート、本当に破ったの!?」

――近藤天海。

そういえば、同じ団地だったんだっけ。

朝からご苦労さま、これはまさか「尋問タイム」?

「破ったよ。」

欠伸を噛み殺しながら淡々と答える。眠い。とにかく眠い。

「なっ……本当に破ったの!? ちょっと、あんた何考えてんのよ!」

天海の声がバスの中に響き、すぐに周囲の視線が集まる。慌てて彼女は声を潜め、「だったらノート代、弁償しなさい。倍よ、千円!」と続けた。

この千円があれば、今夜は友達と一緒にバーで一杯飲める。今月、お父さんが一銭もくれなかったから、この嫌な女と対決する必要があった。

「お金ない。」

短く答えて、再び目を閉じる。眠気が限界。

「なっ……!?」

予想外の反応に、天海は一瞬言葉を失う。――まさか反論されるなんて思ってなかったんだろう。

ダメだ、今日このお金を絶対に手に入れないと。

「何よ、その態度。宿題は自分でやりなさいって、昨日も言ったでしょ? それでもまだ分かんないなら、もう二度と助けないから。」詩織の声は静かだが、目だけは鋭かった。

――こういうタイプには優しくしても無駄。下手に出れば出るほど、つけ上がるだけ。

「……いいわ。覚えてなさいよ、夏目詩織!」

近藤天海は、唇を噛みしめながら睨みつける。まるで息を吐くたびに怒気が漏れるようだ。

「どうしたの?殴るつもり? その細い腕と足で、あたしに勝てるとでも?」

詩織は腕を組み、まるで「やってみなよ」と言わんばかりに肩をすくめた。

「こ、このっ……!」

天海は顔を真っ赤にし、指を震わせながら詩織を指さす。

――まさか、ここまで堂々とやり返されるとは思ってなかったんだろう。

「ありがとう。褒め言葉として受け取っとく」

余裕の笑みを浮かべながら言う詩織に、天海は歯ぎしりをした。

「ふん、覚えておきなさい」

詩織は内心でため息をつく。

――ほんと、分かりやすい子。気勢さえ負けなければ、簡単にしぼむ。でも、あの子が外の不良とつるんでるって噂もあるし……少しは警戒しておこう。

「次は、剛毅高校前~」アナウンスの声が流れる。

「すみません、通してください」詩織は天海の前をすり抜け、堂々とバスを降りた。背後から突き刺さる視線など、気にも留めない。

バスでのこの一幕を多くの人が目撃した。天海の声が大きかったので、気づかないわけにはいかなかった。

「え、すご……あの子、完全に勝ったじゃん」

「バスの中で女子がケンカとか、朝から刺激強すぎ」

そんなヒソヒソ声があちこちから聞こえてくる。

――この時代、女王様って言葉はまだ一般的じゃなかったけど、

もし七年後だったら、きっと誰もがこう言っていただろう。「あの子、女王オーラ半端ない!」

「おい、遠藤。今の近藤と夏目だろ?同じクラスの」

 「……ああ」

 「へぇ~、あの地味だと思ってた夏目、意外とやるじゃん」

彼女が「特別」とされている理由なんて、同じ学年の誰もが知っている。

――あの有名なお騒がせ二人組、紅葉と近藤にいつも絡まれているからだ。

「ああ」遠藤は短く返事をし、

その目は、詩織がバスを降りる後ろ姿を静かに追っていた。

「まさかさ……まだ告白してないとか言わないよな?もう三年生だぜ?一年生の時から好きなんだろ?」

隣の中島剛(なかしま ごう)が、信じられないという顔で彼の肩を小突く。

 「……」

「おいおい、三年目の片想いって、どんな修行だよ。剛毅高校の王子がそんなチキンだったなんて、言ったら女子全員腰抜かすぞ?」

中島は苦笑しながら続けた。

実際、彼がこの話を知ったのはほんの一週間前。

 それまでずっと、遠藤宏樹(えんとう ひろき)は校内の人気者――紅葉あたりを好きなんだろうと勝手に思っていた。まさか、あの静かで目立たない夏目詩織だとは。

ただ、残念ながら「想い人は気づかない」というのが現実らしい。王子様も、こういう情けない一面があるとは。

とはいえ、中島も内心では納得していた。

確かに夏目詩織は可愛い。

でも、いつも俯いてばかりで、目立たない。あの二人――鈴木紅葉と近藤天海――がいなければ、きっと誰も彼女を覚えていないかもしれない。

存在感、薄すぎ。

「ああ」

「なぁ、俺が代わりに呼んでやろうか?『夏目詩織~!』ってさ!」

「いいよ、何も言わないならお前が同意したと思うよ。あ、夏目詩織……」

 次の瞬間、中島の口は宏樹の手で塞がれた。

「んーっ、んーっ!」くぐもった声がバスの外に漏れる。

「……あれ? 今、誰か私の名前呼んだ?」

詩織は不思議そうに振り返ったが、見覚えのある顔はなく、すぐに首を傾げて歩き出した。

ようやく手が離れた中島は、大きく息を吸い込む。

「ぷはっ……死ぬかと思った! お前、力強すぎだろ!」

 「はいはい……。もう勝手に片想いしてろよ、俺は関わらねぇ」

「……授業始まる。行くぞ」

宏樹は表情を崩さず、制服の襟を正して歩き出した。

「おい、待てよ」中島はついに分かった。遠藤がしたくないことに口を出さない方がいい。そうでなければ、どう死ぬか分からない。

こんな腹黒い友人を持つとは、中島もお手上げだった。


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