章節 8: バレンタインデーの夜、誰と過ごしたの
編輯: Pactera-novel
高橋健太は思わず、宮崎葵のふらふらと動く小さな手を掴んだ。
彼女の手が彼の体をあちこち触り回すたびに、体内に火がついたような感覚が走る。
これほど大胆な女性に出会ったことはなかった。お見合いしたお嬢様たちは皆、上品で控えめばかり。彼女のように直接的な女性は初めてだ。
初対面でLINEを聞き出し、二度目の出会いでは制服姿で誘惑し、今度は手まで出してくるなんて。
ありえない！
「あの…健太さん、聞きたいんだけど…バレンタインデーは誰と過ごしたの？」
葵はどうしても気になって、もう一度確かめずにはいられなかった。
だが彼女が質問しなければよかったものの、質問した途端、健太の呼吸が乱れた。
彼の脳裏に、混沌とした映像がよぎる。
バレンタインデーの夜——あの夜は、生涯忘れられない一夜となった。
普段は理性的な自分が、まるで手綱を外した野馬のように、狂ったように…
健太の瞳が、肉眼でわかるほど暗く沈んだ。
「バレンタインデー？もちろん、好きな人と過ごしたさ」
好きな人と過ごしたのなら、あの夜の男は彼ではない。
葵は少し落胆すると同時に、ほっとした気持ちにもなった。
疑いを抱いたことはなかったわけではない。健太があの夢の中の男にそっくりだということを。
もし子供が本当に健太の子だとしたら、少なくとも彼は父親なのだから、中絶するなら知らせるべきか？
知らせようが知らせまいが結果は変わらない。この子は産めないのだから。
健太が否定したのを見て、葵は内心ほっとした。やはり勘違いだったのだろう。映画館の男は、単に健太と体格が似ていただけなのかもしれない。
「どうした？僕とバレンタインデーを過ごしたかったのか？」
「何言ってるの！あなたとなんて、お墓参りに行く方がましよ！」
「まだ強がってる？」
健太が葵を見下ろす。その視線は熱を帯びていた。葵は今まで男性にこんな風に見つめられたことがなかった。松本彰人のことが好きだった時でさえ、二人は手をつなぐだけで、抱き合うことさえなかった。
葵の白い肌が恥じらいで桃色に染まるのを見て、健太は思わず、この女性の身長も顔も、自分の好みにぴったりだと思った。
高すぎず低すぎず、ちょうど彼のあごの高さで、抱きしめるのにちょうどいい。
肌は透き通るように美しく、腰は細く、片手で抱えられるほどだ。
健太の体内の炎が、再びうずき始めた。
エレベーターの中、二人は向き合い、それぞれに思いを巡らせながら、空気の温度がみるみる上昇していく。
チーン——
エレベーターのドアが開き、誰かが乗ってきた。
葵は我に返り、健太を押しのけ、髪を整え、床に散らばった薬を拾い集め、急いでエレベーターを降りた。
しかし数歩歩いて立ち止まり、振り返って言った。「あなたの顔の傷、きちんと消毒されてないわよ。ガラスの破片が残ってる。処置しないと感染するわ」
健太は一瞬驚いたが、すぐに言い返した。「君が処置してくれ！」
どうせこの傷は、この薄情な看護師のせいで負ったものなのだ。
昨夜、あの老いぼれオヤジを懲らしめた後、葵の友達のプロジェクトを承認するように強制したのだ。
葵は眉をひそめ、忠告したことを後悔した。「自分で誰か探してよ」
「看護師が患者の面倒を見ないのか？苦情を入れるぞ」
健太は脅すように言った。
葵は歯を食いしばったが、仕方なく彼を処置室に連れて行き、破片を除去することにした。
内心では不本意でも、プロとしての意識はあった。葵は健太に近づき、優しく動き、ガラスの破片を摘み取る際には、そっと息を吹きかけた。
女性の温かな吐息が健太の耳元にかかり、くすぐったく、羽毛で軽く撫でられているようだった。
健太の顔の不機嫌そうな表情は次第に消えていった。
子供の頃から手がつけられず、父親に嫌われ、母親の高橋さんも厳格で、ケンカで怪我をするたびに使用人に処置させられていた。
使用人は彼を恐れており、これほど優しく傷の手当てをしてくれた者はいなかった。
処置は順調に進み、健太は文句一つ言わず、おとなしく葵に包帯を巻かせた。
葵は彼の耳の後ろの傷も処置し、口元には止血テープを貼った。
認めざるを得ないが、健太は実にイケメンだった。高い鼻に澄んだ瞳、止血テープが顔に貼られていても、その端正な顔立ちは損なわれていなかった。
松本彰人もイケメンではあったが、健太の持つ少し攻撃的な美しさとは異なり、彰人は温かみのある紳士的な美しさを持っていた。
「もし子供が本当に健太の子だったら…産んでもいいかも。少なくとも、健太の美貌は受け継がれるだろうから。」
男の子か女の子か…
葵は普段優柔不断な性格ではなかったが、妊娠の影響か、気持ちが揺れ動いていた。
「数日間は傷口を水に濡らさないで。タバコとお酒も控えて。この傷、どうしたの？怪我に気づかなかったの？」
葵は職業習慣から、一言尋ねた。
健太が口を開こうとした瞬間、携帯電話が鳴った。
着信番号を見ると、彼は葵の手を押しのけ、窓際へ歩いていった。
「どうした？」
彼の声は優しく、別人のように穏やかだった。
「仕事が嫌なら、辞めればいいさ」
葵は救急箱を片付けながら、健太をちらりと見た。なるほど、このお坊ちゃまにもこんな優しい一面が。電話の相手は、きっと彼の言う「好きな人」なのだろう。
健太が電話を切り、振り返った時には、処置室はもう空っぽだった。
健太は口元の止血テープに触れ、口角をわずかに上げた。あの小柄な看護師、なかなかやるな。少なくとも包帯の腕は確かだ。
階下に戻ると、松本瑠衣はもう帰っていた。
松本彰人のことさえ気にしなくなった今、彼の母親のことなどどうでもよかった。
午後、葵は弁当箱を持って、庭園にいる老人を訪ねた。
「葵」
彰人が廊下で彼女を呼び止めた。彼は葵の弁当箱を持とうと手を伸ばしたが、その背後から宮崎由紀が小走りでやってきた。
「彰人さん、今日が初出勤だから、食堂に連れて行ってくれない？」
由紀は親しげに彰人の腕をつかんだ。彰人は振り払わず、弁当箱を持とうとした手が宙に浮いたままだった。
二人が並ぶ様子は、温厚で上品な男性と愛らしい女性の組み合わせで、とても調和が取れているように見えた。
「お姉さん、またお弁当？一緒に食堂に行かない？」
由紀は葵の手にある弁当箱を見て、からかうように言った。今時、若い女性が弁当箱を持ち歩くなんて、まるで主婦のようだ。
「約束があるから、ごめん」
葵は弁当箱をしっかり握り、その場を離れた。
葵の後ろ姿を見ながら、彰人は太い眉をわずかにひそめた。最近、葵はよく一人で病院の庭園に行っている。誰かに会っているのだろうか？
「彰人さん、気にしないで。姉さんは昔からああいう性格なの。孤独で、友達もほとんどいないんだから」
由紀は葵の後ろ姿を見つめながら、内心ほくそ笑んだ。
彰人もそう考え直した。確かに葵の性格は少し孤独がちで、中学から高校まで、彼女の友達は自分が知っている者ばかり。自分と斎藤霞だけだ。
彼女は今、嫉妬して、わざとすねて「約束がある」と言っているだけだろう。数日後、彼女が家に来た時に、少し機嫌を取れば元に戻るはずだ。
二人は楽しそうに話しながら食堂へ向かった。
「このバカ野郎！人を紹介するって言っといて、一番先に逃げやがって。次逃げたら足を折るぞ！」
庭園の中、昨日と同じ場所で、老人が花壇のベンチに座り、怒り狂って罵っていた。
老人は早くから降りてきて葵を待ちながら、孫を罵り続けていた。
葵が近づいてくるのを見ると、老人の表情は一変し、顔中のしわが笑顔で花開いた。
「おじいちゃん、お昼ですよ」
葵は笑いながら近づき、弁当箱を置いた。蓋を開けると、老人はすぐによだれを垂らしそうな表情をした。
「看護師さん、君の腕前は本当に素晴らしい。昔の御厨にも引けを取らないよ」
老人は美食の前では、腹の立つこともすっかり忘れ、葵を褒めちぎった。
高橋グループで、健太が会社に戻ったのは午後になってからだった。
祖父のお見舞いを忘れていたことを思い出し、携帯を取り出すと、美味しそうな昼食の写真が目に入った。
「祖父も今回は嘘をついていなかったようだ。見つけた食事仲間の料理の腕はなかなかのものだ」
健太がそう考えていると、オフィスのドアが開いた。
訪ねてきた人物を見た瞬間、健太の整った顔は一瞬で曇った。
彼は無関心そうにオフィスチェアに寄りかかり、典型的な放蕩息子のような態度を取った。
「用は？」
健太の態度を見て、相手はさらに怒りをあらわにした。
「よくもまあ、そんな態度が取れるな。お前が何をしたか、これを見ろ」
訪ねてきた者は娯楽雑誌を手に取り、パンという音を立てて健太の顔に投げつけた。
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