第5話:決別の宣言
入院して三日が経った。
彩花の足の傷は、実習看護師による杜撰な治療で悪化の一途を辿っていた。包帯の交換も適当で、消毒も不十分。痛み止めも与えられず、彩花は激痛に耐える日々を送っていた。
「これじゃダメだ」
響が病室に入ってきて、彩花の足を見て眉をひそめた。包帯は血で滲み、異臭まで漂っている。
「俺がやる」
響は医療用具を取り出し、自ら彩花の手当てを始めた。包帯を外すと、傷口は膿んで腫れ上がっていた。
「痛いか?」
響の声は優しかった。以前のような、彩花を大切にしていた頃の響の声だった。
彩花は小さく頷いた。響の手つきは丁寧で、傷口を清拭しながら新しい包帯を巻いていく。
「彩花」
響が話しかけた。いつものように甘えてこない彩花の態度に苛立ちながらも、歩み寄りを期待していた。
「もう少し素直になれよ。俺だって、お前のことを……」
「響」
彩花が静かに響を遮った。その声には、諦念が込められていた。
「これまで迷惑かけて、ごめんなさい」
響の手が止まった。
「婚約が邪魔なら、おじいちゃんに話して取り消してもらう」
彩花は響を直視せず、窓の外を見つめながら静かに告げた。これ以上響に迷惑をかけたくない。その思いから、関係の解消を申し出たのだ。
響の顔が一変した。
「何だって?」
「私、もう疲れた。響の重荷になるくらいなら——」
「いい加減にしろ!」
響が怒鳴った。彩花の言葉を、自分への駆け引きだと一方的に解釈したのだ。プライドを傷つけられた怒りが、胸の奥で燃え上がる。
「お前のそういうとこ、ほんとに面倒なんだよ!」
響は薬瓶を床に放り投げた。ガラスが砕ける音が病室に響く。
「俺の気を引こうとして、そんな芝居打ってるのか!」
響はドアを叩きつけて出て行った。彩花は一人、砕けた薬瓶を見つめていた。
翌日、響の祖父が病室を訪れた。
「彩花」
その声を聞いた瞬間、彩花の目に涙が浮かんだ。祖父は彩花にとって、実の家族以上に大切な存在だった。遭難中も、彼のことを考えていたほどに。
「おじいちゃん……」
彩花は安堵と愛情に包まれた。心配をかけまいと気丈に振る舞おうとしたが、祖父は彼女の足の酷い傷を一目見て激怒した。
「ここの医者は役立たずか!」
祖父は杖を床に突き立てた。その音が病室に響く。
「うちの可愛い孫嫁にこんな仕打ちをして!」
若い頃に商界で鳴らした祖父の威厳ある一喝が、廊下にまで響いた。その場にいた医師・朽葉が震え上がる。
「あ、あの……雪咲が治療に協力的でなくて……」
朽葉が嘘の弁明をしようとした瞬間、祖父の杖が彼の肩を打った。
「黙れ!」
騒ぎを聞きつけた咎音が駆けつけてきた。
「また彩花が何か言って、おじいちゃんを怒らせたんですか?」
咎音は嘘をつき、彩花に責任を転嫁しようとした。しかし——
パシン!
祖父の平手打ちが咎音の頬を打った。
「お前とお前の兄のこと、見抜けないとでも思ったか?」
祖父の声は低く、怒りに震えていた。咎音たちの企みを全て見抜いていることを宣言したのだ。
「おじいちゃん!」
響が駆けつけてきた。咎音は泣きながら響に抱きついた。
「響兄……おじいちゃんが急に……」
完璧な被害者の演技だった。響は咎音を抱きしめ、祖父を睨みつけた。
「何をしてるんですか!咎音に何の罪があるって言うんです!」
祖父と響の視線がぶつかり合う。
響は咎音をより強く抱きしめた。
「あいつがお前と比べものになるか?俺が守ってやる。誰にも手は出させない」
その宣言が、病室の空気を凍りつかせた。
彩花との関係を完全に断ち切り、咎音の側に立つことを明確にした瞬間だった。
祖父と孫の直接対決が、今始まろうとしていた。