章節 9: 脱げ、見せろ
編輯: Inschain-JA
梔子は急いで手を振った。「おばあさま、誤解よ。最近、冷えて胃の調子が悪いだけなの。おととい検査したけど、妊娠してないわ。昭彦も知ってるわ……」
太田さんのおばあ様は期待を抱いたまま、すぐに顔を向けて太田昭彦を見た。
昭彦は頷いた。「彼女は妊娠していない」
おばあ様は顔を曇らせ、昭彦の腕に置いていた手で強く彼をつねった。
「男は仕事がどれほど成功しても、妻を大事にせず、子供を作れないのは役立たずだよ！あんたは毎日家にも帰らず、あんなに美しい嫁を大事にしないで、何の役に立つんだい？」
太田さんのおばあ様だけが昭彦にこんな風に言える人だった。男は困ったような表情を浮かべた。
「僕と梔子はまだ若いし、子供を急いでいないんです」
「あんたはもうすぐ三十歳だよ、どうして急がないの？今回私が帰ってきたのは、あなたたちがちゃんと子供を作るのを見届けるためなのよ！」
彼女は言い放った。「今夜、あなたと梔子は本邸に戻りなさい、しっかり子作りするのよ！」
「はいはいはい、すべてあなたの言う通りに」昭彦は答えた。
「梔子、あなたはどう？」
太田おばあ様が子供たちの前で子作りを催促したので、梔子は恥ずかしさで顔を赤らめた。おばあ様がさらに何か言い出すのを恐れて、彼女は急いで頷いた。
「もちろんおばあさまと一緒に帰るわ」
離婚して留学することについて、梔子はおばあさまに話す機会を探したいと思っていた。
*
夕方、梔子が夢舞トレーニングセンターを出ると、道端に見覚えのある高級車が停まっていた。
梔子は足早に近づき、ドアを開けて中に滑り込むと、松浦にすぐ言った。
「早く発車して」
太田昭彦が隣に座り、書類から視線を上げた。
「俺は人に見られたくない存在か？」
彼女はただのパートタイム講師で、高級車に乗っていると見られれば不必要なトラブルになる。それに、以前彼女が彼の車で出勤したとき、会社のビルまであと二本も通りがあるのに、彼は彼女に車から降りるように言ったことがあった。
彼女はグループ企業で1年以上働いていたが、誰も彼女が太田の奥さんだとは知らなかった。
人に見られたくないのは、彼女の方だった。
梔子は頷いた。「私たち離婚するのだから、余計な問題は避けたいの」
昭彦は冷笑し、傍らの書類を取って梔子に投げた。
「持って帰れ。離婚には同意しない。パートタイムの仕事は辞めて、グループに戻って働け。この数日間のお前の反抗は無かったことにしてやる」
今日、彼は顔を上げても彼女のうろうろする姿が見えず、仕事の効率まで下がっていた。
昭彦の口調は横暴で、梔子は投げ返された離婚協議書を拾い上げ、怒りがこみ上げた。
どうして彼女がまた戻って働かなければならないの？
この一年間、彼女がグループで雑用をこなしたのは、彼への愛情を抱き、結婚生活をうまくやっていきたいと思ったからだ。しかし彼女が毎日彼の目の前でうろうろしても、彼は家に帰ってこなかった。
彼女は疲れていた。
「戻るつもりはないわ。私にも夢があるの。あなたが言うように、太田家を離れたら生きていけないなんてことはないわ。今の私はとても良くて……」
「お前の『とても良い』ってのは、くだらないダンス教師をやることか？足をダンスで折れるまで踊って、ネックレス一本買えるのか？」昭彦の目が女性の足を見た。
彼女の怪我をした右足が宙に浮いていた。きっと痛んでいるのだろう。
愚かな女だ、わざわざ自分から災難を買って出る！
男のあざけりと侮蔑の口調に梔子は胸が苦しくなった。彼女は午後に受けたあの電話を思い出した。
太田社傘下のエンターテイメント会社からの電話で、彼女の新曲を蘇我綾乃のソロコンサートのオープニング曲として200万円で買い取りたいという。
綾乃は両親が金を注ぎ込むだけでなく、昭彦まで惜しみなく彼女の夢を応援している。一方、彼女自身は小さな事務員でいるべきだというの？
「私は踊りたいの！アクセサリーは身につけなくても大丈夫。離婚して身一つで出ていくからダメなの？」
昭彦は自分がここまで引き留めているのに、彼女がまだ離婚を決意していることに驚いた。男は不気味な雰囲気を漂わせながら、彼は梔子の顎をつかんだ。
「お前は八歳から太田家で暮らし、裕福な生活を今まで送ってきた。その勘定、教えてやろうか？離婚は構わないが、俺は損な取引はしない。三千万円を支払ってからまた話そう！」
梔子は拳を握り締め、信じられない様子で目を見開いた。
「三千万？太田の若旦那はお金の稼ぎ方をよく心得てるわね。年に一度結婚と離婚を繰り返せば、何もしなくても大金持ちね」
昭彦は冷笑した。「年にたった三千万程度で、俺が結婚を売り物にするとでも？それに、この世で子供の頃から太田家の世話になっておきながら、太田家から逃れようとする白眼視は、お前だけだ」
梔子は彼を噛みつきたいほど腹が立ったが、男は彼女の動きを予測したかのように、彼女の顎を掴んでいた手を上に動かし、彼女の両頬をつかんだ。
梔子はアヒルのように頬を押さえつけられ、それも怒り膨れたような状態だった。
「払えないなら大人しくしていろ」
彼女の目尻が赤くなり、昭彦はようやく手を放した。
カチッ。
彼は親指でライターを開き、離婚協議書に火をつけてゴミ箱に投げ込んだ。
梔子はその炎をぼんやりと見つめた。「あなたが離婚しないなら、綾乃はどうするの？」
「それはお前が心配することじゃない！」
つまり、彼は彼女と綾乃を共存させるつもりなのか？
最低！
梔子は怒って顔を背けた。昭彦は突然言った。
「脱げ、見せろ」
梔子は信じられずに振り向いたが、男の視線は彼女の怪我をした足に向けられていることを見た。
「靴のこと？」
昭彦は何も言わなかったが、彼の冷笑的な眼差しははっきりと「他に何を脱ぐと思ったんだ」と言っているようだった。
梔子はますます腹を立て、顔を背けて彼を無視した。男は眉をひそめ、強引に彼女の足を自分の膝の上に置き、彼女の傷を確認した。治りが良いのを見て、やっと手を放した。
帰り道、二人は誰も口を開かなかった。
太田本邸に着くと、梔子はドアを開けて降りようとしたが、右手を彼に掴まれた。
梔子は振り返って彼を見ると、男は彼女の手を持ち上げて、指輪を彼女の薬指に嵌めていた。
それは彼女が外して、イヤリングと一緒に御庭府に置いていった結婚指輪だった。
梔子は驚いた。それもそのはず、これが彼が彼女に指輪をはめる初めての瞬間だった。
彼らの結婚式はなく、彼は結婚届を出した当日に海外に出かけ、数ヶ月間帰ってこなかった。
結婚指輪は太田おばあ様が用意させたもので、梔子は自分ではめてからはずさなかったが、昭彦が結婚指輪をつけたのは1年前、彼らが結婚後に関係を持ってからだった。
彼女は結婚指輪を結婚の象徴として大事にしていたが、最後まで守り抜けたのは結婚の冷たい外殻に過ぎなかった。
梔子が指輪を外そうとすると、昭彦は突然彼女と指を絡ませた。
「おばあさまは最近病状が不安定だ。わがままを言うな！」
男は警告するように指に力を込め、梔子の指は結婚指輪で少し痛くなった。
梔子は昭彦が彼女を脅しているだけだと思っていたが、リビングに入るとおばあさまが薬を飲んでいるところだった。
その薬は一度に大量で、以前とは違う量だった。
梔子は結局、離婚のことを持ち出す勇気が出ず、おばあさまの好きな料理を作りに行った。
食事の前に、吉田琴音と昭彦の父親である太田政明が一緒に帰ってきた。
琴音は梔子を見ると冷笑し、目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。
「離婚すると騒ぎ立てておきながら、あっという間に本邸に戻ってくるなんて、厚かましくて骨のない奴！」
梔子が台所に入ると、琴音もすぐに後を追ってきた。
梔子はスープを混ぜながら、振り返って彼女に微笑みかけた。「そうね、どうして太田家の栄華と富を手放せるでしょう？」
彼女は琴音の言う通りに答えたが、琴音の顔はさらに暗くなった。
「やっと認めたわね、昭彦にこの本性を見せるべきね！」琴音はそう言って出て行った。
梔子はおばあさまの好きな料理だけを作り、他はメイドに任せて、キッチンを出るとおばあさまの寝室に向かった。
思いがけず昭彦もいて、おばあさまはベッドに寄りかかり、梔子に手を伸ばした。
「梔子、早くおいで」
梔子はベッドの横に座り、老人の手を握ると、おばあさまは尋ねた。
「あなたたち二人、私に隠れて離婚しようとしてるの？」
梔子はびっくりした。これはチャンスだと思った。彼女は老太田に離婚して留学したいという計画を伝えたかった。
しかし、老人の目はとても悲しみに満ちていて、まるで一度に五、六歳も老けたかのようだった。
梔子が握っている手は骨と皮だけのようで、震えていた。
梔子は唇を動かしたが、どうしても言葉が出なかった。
彼女がためらっている間に、昭彦は彼女を抱き寄せていた。
「おばあさま、僕たちは仲良くやってますよ。そうだよね？妻」彼は頭を下げ、彼女の耳元で囁いた。
男の吐息が耳に入り込み、彼の声は低く魅惑的で、しびれるような感覚が心臓に直行した。
彼が彼女を「妻」と呼んだのは初めてで、たとえおばあさまに聞かせるためだけだったとしても、梔子は抵抗できず、心の壁が完全に崩れ落ちた。
「うん、私たちは仲良くやってる」と彼女は顔を赤らめて言った。
「ばあさんはそう簡単に騙されないよ。郊外のサナトリウムでのんびり暮らしていたのに、わざわざ昭彦が迎えに来たんだから。もしかして嫁さんと喧嘩して、自分じゃどうにもならなくて、この年寄りを引っ張り出したんじゃないか？ばあさんはちゃんと見抜いてるんだからね、認めるか？」
太田おばあ様は昭彦を見つめ、梔子も驚いて彼の方を見た。
本当におばあさまの言う通りなのだろうか？
昭彦が彼女をなだめられず、おばあさまを迎えに行き、おばあさまに彼女を説得させるよう仕向けた…？
昭彦は平然とした顔で「おばあさまが一番賢明で、何も隠せませんね」と言った。
彼は認めた！
梔子の心臓は速く鼓動し、彼をじっと見つめた。
彼が以前離婚を拒んだとき、梔子は彼が自分の体面のためか、いっそ彼女に復讐したいのだと思っていた。彼女を引き留めるためではないと。
しかし今、彼女は考え始めた。もしかすると昭彦は彼女が思っていたほど冷淡ではないのかもしれない。
ひょっとすると、彼もこの結婚に対して、少し気にかけ、未練があるのかもしれない。
「早く梔子に優しい言葉をかけなさい！」
太田おばあ様が促すと、男は仕方なく笑い、ハンサムな顔に笑みが浮かび、優雅で何気なく顔を向けると、梔子の視線とぴったり合った。
梔子はすぐに耳まで赤くなり、心臓の鼓動はさらに乱れた。
昭彦は女性の恥ずかしそうな可愛らしい表情を見て、一瞬息を詰め、のどぼとけが動いた。
男は手を上げ、梔子の髪を優しく撫で、かすれた声で言った。「妻よ、僕たち離婚しない、いいね？」
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