御手洗彰仁は、外の風雨を纏うようにして、重い足取りで入ってきた。その後ろには、会社の顧問弁護士である木村が続いていた。
彰仁の視線は冷たく、高橋美咲を一瞥するなり、すぐに鈴木愛奈の様子を見に駆け寄った。
「彰仁…」美咲は彼の名を呼んだが、声の震えを抑えきれなかった。「愛奈のその子…あなたの子なの?」
彰仁は愛奈を抱き上げ、美咲を冷たい眼差しで睨みつけた。「どけ」
「違うって言って…。嘘だって言ってくれれば、信じるから」美咲は必死で、震える手で彼の上衣の裾をつかんだ。
「彰仁お兄さん、痛いよ…」愛奈は彰仁の腕の中で、弱々しく甘えるように声を漏らした。「怖い…赤ちゃんが…」
「大丈夫だ、すぐに病院へ行く」彰仁は優しく囁き、彼女を抱えたまま外へ向かおうとした。
「彰仁!」美咲はなおも手を離さなかった。「はっきりしてよ」
「美咲、そうまでするな」彰仁は傍らに立つ木村弁護士を見た。「木村さん、彼女と話をつけてくれ」
「承知いたしました。御手洗社長」
彰仁が愛奈を抱えて足早に去り、林田陽子も慌てて後を追う。広々としたリビングには、美咲と木村弁護士だけが取り残された。
美咲の指は、まださっき彰仁の服の裾をつかんでいた時の形のまま。まるで、彼が去ってしまったことがまだ理解できていないようだった。
木村弁護士は鞄から離婚協議書を取り出した。「奥様、こちらは社長がかねてより私に作成を命じていた離婚協議書でございます。ご署名をお願いいたします」
かねてより…?
彼はとっくに彼女に飽きていた。とっくに彼女を裏切り、別の女を見つけていた。とっくに彼女から離れる計画を立てていた。彼女だけが、料理を作り、帰らない人を待つ、笑い話のようにそこにいた。
美咲はその薄っぺらい数枚の紙を受け取った。その重みに、ほとんど体を支えきれないほどだった。「…そこに置いておいて。あとでサインする」
「奥様、ですが社長には…」木村弁護士は困惑したように言った。
「置いておくと言ったでしょう!」
美咲は顔を上げ、木村弁護士を直視した。長い間、上流社会の令夫人として過ごしてきた彼女には、落ちぶれた今でも人を圧倒する気概が宿っていた。
木村弁護士はたじたじとなり、思わず唾を飲んだ。
これは彼が初めて見る美咲の姿だった。普段は誰にでも優しい笑顔を絶やさない穏やかな女性。今日さすがに追い詰められたのだろう。姑がああで、夫がこうでは、どんな温厚な人でも耐えられない。
もし普段からこのような強さを見せていれば、ここまで虐げられることもなかったかもしれないのに…。
木村弁護士は同情の眼差しを向け、小さく息をついた。「…では、失礼いたします。奥様…どうかお気をつけて」
美咲は返事をしなかった。幽霊のように厨房へと歩み寄り、全ての料理をゴミ箱に捨てた。そして自室に入り、結婚前に買った数着の服をまとめた。彼女の持ち物のほとんどは結婚後に彰仁が買い与えたもの。彼は彼女に服や宝石を買うのが好きだった。本当に彼女自身のものは少なく、あっという間に荷造りは終わった。
わずかな荷物を手に、離婚協議書の置かれたダイニングテーブルに戻り、自らの名前を記した。しばらく呆然と座った後、ゆっくりと、三年間はめたままだった結婚指輪を外し、協議書の上に置いた。薬指にはがらんとした跡だけが残っている。それは彼と彼女の三年間の結婚生活の痕跡のようだ。彼女は傷の治りが早い方だから、この跡もすぐに消えてしまうだろう……。そうなれば、彼と彼女の間に、本当に何も残らなくなる。
鍵を置き、この屋敷を後にした。頭は割れるように痛み、一連の騒動でとっくに夜は更け、外は暗闇に包まれ、冷たい雨風が吹きすさんでいた。この広い世界で、彰仁を失った今、美咲は一体どこへ行けばいいのだろう……。
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翌日、社長室。
彰仁は夜遅くまで病院にいて、家に帰らず直接会社にやってきた。
整った眉目には疲労の色がにじみ、胸元のネクタイは緩められ、どこか憔悴した雰囲気を漂わせていた。
吉田特別補佐がそっと入ってきた。「社長、奥様は既にサインをされ、去られました」
「わかった」彰仁は目を閉じた。
「社長……」吉田特別補佐は少し躊躇したが、やはり美咲のために一言、言葉を添えずにはいられなかった。「奥様は何もお持ちになりませんでした。この先、どのようにお暮らしになるのか…」
「彼女のことが心配なのか?」彰仁は眉を上げ、含みのある声で問い返した。
「い、いえ、とんでもありません」
「自業自得だ。どんな結末になろうと、彼女の受けるべき報いだ」彰仁は机の上の書類入れを一瞥し、瞳には冷たい光がひらめいた。