第5話:最後の審判
[雪乃の視点]
階段を下りると、沙耶が廊下で待っていた。
彼女は私を見るなり、身を縮めるように後ずさりした。
「雪乃さん……」
沙耶の声は震えていた。まるで怯えた小動物のように。
「お願いします。樹には何もしないで」
何もしない?
私は沙耶の顔を見つめた。化粧で隠しきれない疲労の跡。でも、その目には確かな敵意が宿っている。
「樹は自分の出自を知ってるの?」
私の問いかけに、沙耶の顔が青ざめた。
「何のことですか」
「とぼけないで」
私は一歩近づいた。
「あの子は玲司の子供でしょう?そして、一年前に私の子供を――」
「雪乃」
玲司の声が背後から聞こえた。振り返ると、彼が階段を下りてくるところだった。
玲司は迷わず沙耶の前に立ちはだかった。まるで私から彼女を守るように。
その光景を見て、私の心に最後の希望が消えた。
夫は私ではなく、愛人を選んだ。
「玲司」
私は夫の名前を呼んだ。
「最後に聞かせて。この子を産んでも良い?」
玲司の表情が険しくなった。
「雪乃、もうその話は――」
「答えて」
私の声は静かだった。でも、その奥に宿る感情は激流のように荒れ狂っていた。
玲司は沙耶を振り返り、何かを確認するような視線を送った。沙耶は小さく首を振る。
その瞬間、私は全てを理解した。
二人はすでに話し合っている。私の妊娠について。私の子供の運命について。
私抜きで。
「お前みたいに毒々しくて、狂っている母親から生まれてくる子供なんて、どうなるかわかるだろ?」
玲司の言葉が、私の心を完全に破壊した。
毒々しい。狂っている。
夫の口から出た言葉が、私の存在そのものを否定していた。
顔から血の気が引いていく。視界が暗くなり、立っていることさえ困難になった。
「早く堕ろしたほうがいい」
玲司は冷たく言い放つと、沙耶の肩を抱いた。
二人は一度も振り返ることなく、病院の出口に向かって歩いていく。
私は一人、廊下に取り残された。
――
その夜、自宅のベッドで横になっていると、携帯電話が鳴った。
沙耶からのメッセージだった。
『ごめんなさい、雪乃さん。彼はあなたの子を望んでいません』
添付されているのは、動画ファイル。
震える手でそれを再生した。