混乱していた。すべて幻聴だと思った。それに、この会話には聞き覚えがある。まるで、何年か前の夏に起きた出来事のようだ。
でも、自分はもう死んだはず。なのに、どうしてこんな苦しい記憶の声を、また聞かされなければならないの?
一体どうなっているのか、確かめたくて、目を開けた。
今度は、どこまでも続く白一色ではなかった。ぼやけていた視界が、徐々にはっきりしてくる。誰かがそばに座っているのが見えた。その背後には、執事らしき年配の男性が控えている。
視線を右に向けると、巨大な窓があった。大きな木の幹が視界の半分を覆っているけれど、その葉の隙間から、燦々と太陽の光が差し込んでいた。
眩しくて、幻惑的。
驚く間もなく、隣の人物が口を開いたのが聞こえた。
「詩織、目が覚めたのか?」先ほどの冷徹さとは打って変わって、ゆっくりとした、穏やかな口調だった。
「あ、あなた様は……」
視界はまだ少し霞んでいる。この人は誰? どうして、お父さんによく似ているの? それに、ここはどこ?
もし天国なら、慈悲深い神様や白いドレスの天使がいるはず。地獄なら、恐ろしい閻魔様や小鬼たちがいるはず。
でも、何もない。すべてが、俗世と変わらない。
男の顔が、みるみるうちに険しくなる。さっき僅かに見せた父親らしい情も、跡形もなく消え去っていた。「『あなた様』だと? ……わざと他人行儀な口を利くのか?」
背後の年配男性が、緊張した面持ちで口を挟んだ。また一戦交えることになるのではと案じているのだろう、親切心から、慌てて忠告する。「旦那様、お嬢様はまだお目覚めになったばかりでございます」
男は冷たく鼻を鳴らし、すっくと立ち上がった。「どうして燦のように、少しは素直で聞き分けが良くできないんだ? 一日中厄介事ばかり起こしやがって、お前の尻拭いをする暇などない! 本当に死にたいなら、家の外で死ね!」
驚きのあまり、声も出なかった。この会話、この光景、かつて現実に繰り広げられたものだ! 四年前の、あの夏に!
そして、目の前で激昂しているこの男こそ、自分の父親!
すべての記憶が奔流のように蘇り、心臓が鈍く、激しく痛んだ!
佐々木徳忠(ささき とくただ)は、目の前の身を落とす娘を見て、一瞬、いっそこのまま死んでくれればとさえ思った。怒りに任せてドアを開け、去っていく。あとには、忠実にそこに控える執事の年配男性だけが残された。
彼女は呆然と窓の外の陽光を見つめる。光はあまりに強く、目を刺すように痛かった。
突然、彼女は「わあっ」と声を上げ、泣き崩れた。その泣き声は耳を劈くようで、そばにいた長谷川執事をうろたえさせた。
前世の、あの汚らわしくて耐え難い記憶が、狂おしいほどに彼女を苛む。暗闇と暴力に満ちたあの光景。自分の人生は、どぶ川のゴミよりもっと、どうしようもなく惨めだった!
「お嬢様、詩織お嬢様!」長谷川執事は、これほどまでに絶望した彼女の姿を、見たことがなかった。驚きのあまり、その声は震えている。
彼女は長いこと泣き続けた。声が完全に嗄れ、音が出なくなるまで。
ふと、その場に釘付けになったように、ぴくりとも動かなくなる。その瞳は、恐ろしいほどに虚ろだった。
長谷川執事は気味悪く思い、何か言おうとした。だがその瞬間、彼女がベッドから起き上がるのが目に入った。
彼は大慌てになる。「お、お嬢様! どうかそのままで、点滴が抜けてしまいます!」
その言葉で、詩織は自分が点滴を受けていることに初めて気づいた。液体が静かに、ゆっくりと流れている。自分が病院にいるのだと、今更ながらに理解した。
そう、病院。四年前、自分は溺れた。そして目が覚めると、たった今と同じ光景が繰り広げられた。佐々木徳忠が自分に怒鳴りつけたのだ、「死ぬなら家の外で死ね」と。
彼女は冷静に長谷川執事を見た。すっと手を上げ、瞬き一つせず、手の甲に突き刺さった注射針を、力任せに引き抜いた!
瞬間、手の甲から鮮血が噴き出す。
艶やかで禍々しい赤色が、床にぽたぽたと滴り落ち、妖しい華を次々と咲かせていく。
長谷川執事は目の前が真っ暗になるのを感じた。足元がおぼつかず、立っているのもやっとだった。