田中誠は彼女の引っ張りに慣れており、押しのけることはなかった。「君はいつも焦りすぎだよ。転ばないようにね。」
「田中さんがいれば、美咲は大丈夫だよ。」
二人は笑いながら前を歩き、足取りは速かった。
清水詩織はお兄さんお妹さんという声を聞いて、心は果ての場まで落ち込み、足取りが遅くなった。我に返ったとき、二人はすでに見えなくなっていた。
辺りは静かで、詩織はどこにいるのか分からなかったが、以前調査した田中家の地形に従って探索を始めた。
左に曲がり、真っすぐ進み、再び左に曲がると、数分後に詩織は薄いバラの香りを嗅ぎ、かすかに温井美咲の甘えた声が聞こえた。
詩織は石のベンチを手探りで見つけ、人目も気にせず腰掛けると、シルクのスカーフを取り、目をこすった。昨日の薬は、いつもより強く効いているようで、目に刺すような痛みを感じていた。
彼女たちが意図的だったのかは分からないが、美咲の声が突然大きくなり、詩織にはっきり聞こえた。
「田中さん、ママが今日お姉さんを連れてきたのは、幼馴染婚約の件を話すためだと思う。
さっき近藤伯母さんがお姉さんを気に入っているようだったけど、私たち……別れなきゃいけないの?」
最後の言葉で、美咲はすすり泣きながら田中誠の胸に顔をうずめた。周囲は花々に囲まれ、使用人や警備員は下がっていた。
「そんなことはないよ。君は母さんが見守って育てた子だ。母さんが人を変えるなんてあり得ない。安心して、今夜、母さんに僕たちのことを話すよ。」
実は田中誠と美咲はすでに付き合っていたが、美咲がまだ成人していないため、良くないと思って、
二人は隠していた。美咲の十八歳の成人式で田中誠が彼女と最初のダンスを踊る時に正式に発表するつもりだった。
あと二ヶ月というところで、詩織が突然現れるとは予想外だった。
「本当?奥様は私を嫌ったりしない?お姉さんこそが温井家のお嬢様で、私は……」
「嫌うわけがないだろう。君は学識も教養も、何もかも彼女より何倍も優れている。
君は小野叔母さんの実子ではないけど、ずっと温井家で育ってきた。清水詩織は孤児院から来た子で、血のつながりがあっても、
彼女は何者でもない。目が見えないし、名前だけの存在だよ。それとも君は僕を信じてないのかな?僕の母さんは、君以外の嫁は認めないって言っているんだよ」
「もう、私がどうして信じないことがあるの。ただ怖いだけ。」
「安心して、僕がいるから。」
二人は言葉を交わし続けた。
詩織はまぶたを上げ、空虚な瞳の奥で一瞬光が走った。ゆっくりと立ち上がり、来た道を辿って戻り始めた。
彼女は二人が何を言ったかなど気にしていなかったが、本当にうるさかった。
去っていく詩織の後ろ姿を見て、美咲の目には勝ち誇りの色が満ちていた。
「血のつながりがあったって、結局誰からも嫌われる雀にすぎないのよ。」
——
詩織は蛇行する石畳の道を歩いていた。杖で地面を軽く叩き、鈴が一歩ごとに鳴った。突然、彼女は耳をそばだてた。
遠くから雑多な足音が聞こえてきた。人数は3、4人ほどで、その音はだんだん近づいてきた。
詩織は自ら道を譲り、脇に立った。瞬間的に数人の男性が通り過ぎ、冷たい風が吹き抜けた。
しっかり結ばれていなかったスカーフがその風に吹き飛ばされ、詩織は手を伸ばして掴もうとしたが、空を切った。
スカーフはまるで意思を持っているかのように、先頭を歩く男性の足元にきれいに落ちた。
一瞬、全員がその場に立ち止まり、スカーフを見つめ、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。時間が止まったかのようだった。
詩織は眉目を優しくし、礼儀正しく距離を置いた口調で言った。「すみません、スカーフを取って渡していただけませんか?ありがとうございます。」
数人は壁際に立つ少女に目を向け、その中の一人、表情の厳しい男が冷たく問いただした。「君は誰だ?どうやって田中家に入った?」
詩織は敵意を感じたが、表情を変えずに説明した。「今日、母が近藤伯母さんとお会いするために来ました。」
数人はこの言葉を聞き、門前に停まっていた温井家の車を思い出し、さらに先日、温井家が見つけた娘のことを思い出した。美しい顔立ちだが、目が見えないという。
詩織に向けられる視線には観察の色が加わった。確かに莉奈の若い頃に少し似ていた。
詩織はじっとしていた。相手が助けてくれなければ、自分で拾えばいい。
最終的に、彼らはもう一度スカーフを見て、拾うべきか迷っていたが、先頭の男性が先に腰をかがめ、スカーフを拾って詩織に近づいた。
長い指でスカーフを詩織に差し出し、薄い唇が動き、清冽な声で言った。「つけるのを手伝おうか?」
後ろの人々は全員唖然とし、何か大変なことが起きたかのように石のように固まっていた。
詩織の前にぼんやりとした人影が現れたが、はっきりとした顔立ちは見えなかった。鼻先には男性から漂う青草の香り、柑橘系の爽やかな香りが混じり、
心を落ち着かせるようだった。彼女は手を上げてスカーフを取り、微笑んだ。「ありがとうございます。結構です。」
男の手はまだ同じ姿勢のままだった。濃い青色の瞳は深い淵のように底が見えず、表面には詩織の小さく整った顔が映っていた。
彼の視線は彼女の左足首の鈴に移った。彼女が少し動くと、鈴が甲高い音を立て、その表面に一瞬現れた「詩」の文字に彼の喉が締まった。彼女が器用にスカーフを結ぶのを見て、
思わず尋ねた。「君の名前は?」
「清水詩織です。詩を詠むの詩に、織物の織です」
「誰が付けた名前だ?何か意味があるのか?」
詩織は眉間にしわを寄せ、少し不快そうだったが、彼が助けてくれたことへの感謝から答えた。「兄が付けました。人として光明正大で、強く自立し、どんな苦難に遭っても、誠実さと真実を抱き続けられるという願いを込めて。」
男の心が微かに震えた。まるで目立たない小石が静かな海に落ち、波紋を広げるように。
彼の眼差しは複雑で熱を帯びていた。
詩織はその視線に焼かれるような感覚を抱き、男性から発せられる清々しい香りが突然危険なものに変わった。まるで次の瞬間、彼が自分を食べてしまいそうな。
杖を握る指が白くなるほど力が入り、なんとか困惑を隠そうとした。
「君のお兄さんは……」
「詩織。」
詩織は素早く振り向いた。小野莉奈が足早に近づき、詩織の側に来て彼女を引き寄せた。
「詩織、大丈夫?何かあった?」
彼女が温井美咲と一緒にいるのが心配で探しに来て、男の前に一人で立っている詩織を見た時の焦りといったらなかった。
「大丈夫。何もない。」
詩織は心の中で安堵のため息をついた。男からの圧迫感があまりにも強く、莉奈が来てくれて良かった。さもなければ耐えられなかっただろう。
小野莉奈はほっとして、何かを思い出したように詩織を後ろに隠し、軽く頭を下げた。「近藤四郎様、こちらは私の娘です。もし何か無礼があったなら、
どうか温井家のことを考えて、彼女を許してください。」
詩織の体が硬直した。「近藤四郎様?近藤辰哉?!辰哉さん!」
近藤辰哉は莉奈が現れた瞬間、表情を引き締め、冷静な面持ちで無表情になった。「温井奥方、気にしすぎです。俺は彼女のスカーフを拾っただけです。」
視線の片隅は詩織に留まったまま。「彼女は彼女なのだろうか?」
小野莉奈はこれを聞いて何度もお礼を言った。「四郎様、お手伝いありがとうございます。」
詩織の手を取り、優しく言った。「詩織、四郎様にお礼を言いなさい。」
詩織はこの一言で遠くに飛んでいた思考を現実に引き戻され、少し頭を下げた。「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。」
辰哉は今が質問を続ける時ではないと悟り、身を翻して歩き始めた。
田中雅人が最後に残り、詩織を一瞥して何かを考えているようだった。莉奈に向かって微笑み、「弟の嫁よ、後で温井に家で夕食をとるように伝えてくれ。
今夜は四郎様もいるから、ちょうど原浜城の件で協力について話し合えるだろう。」
「はい、田中さん。」
雅人はもう一度詩織を見てから頷いて去った。
人々が遠ざかった後、莉奈の姿勢がようやく緩み、すぐに眉をひそめた。「詩織、美咲はどこ?彼女は一緒に連れてこなかったの?」
詩織はまだ辰哉が自分のことを覚えているかどうか考えていて、質問に軽く答えた。「彼女は田中誠と花園にいる。退屈だったから先に出てきたが、今どこにいるのかわからない。」
莉奈はこれを聞いて、視線に不満の色が走り、詩織の手を取った。「行こう。」
詩織は拒まず、少し歩いてから静かに尋ねた。「お母さん、さっきの人が近藤辰哉なんですか?」
東日国では携帯やツイッターを見る人なら、辰哉を知らない人はいない。詩織が知っていても不思議ではなかった。
「ええ、詩織、母さんが間違ったわ。美咲を信頼しすぎていた。何も起こらなくて良かったけど、母さんから忠告するわ。次に彼に会ったら、
必ず避けて通りなさい。彼に関わってはいけない。彼はとても危険な人よ。」