孝宏は彼女の耳もとに顔を寄せ、わざと嘲るように笑った。「もし俺が本当に無茶なことをしたら――お前、どうするつもりだ?」
詩織の顔は真っ赤に染まり、小さな手で必死に彼を突き放そうとする。
彼女は鮮やかな美貌と清らかさを併せ持ち、気品ある優しさを漂わせながらも、笑わなければ少し冷たい印象を残す。
その瞳は澄んだ水のように透明で、近寄りがたくも、男の魂を惹きつけ、けれど決して触れさせない。
忘れられず、夢にまで見て、欲しくてたまらない存在。
今の彼女は、慌てて頬を赤らめ、どこか可憐で愛らしい。
孝宏はその姿を眺め、口元をかすかに緩めた。どこか甘やかな気配がにじむ。
しばらくして、詩織は観念したように力を失い、静かになった。
いくら突き放しても、彼の腕に捕らわれ、
小さな雀のように逃げられない。
「疲れた?」
孝宏は彼女に近づき、顔を横に傾けて、彼女の耳元で低く囁いた。
低く囁く声が耳をくすぐり、熱い息が肌を焦がす。
詩織は鋭く睨みつけるが――。
……
結局、彼女は抵抗しきれず、
男に連れられて車を降り、ホテルへと入っていった。
周囲の視線が気になり、
詩織は思わずうつむき、唇を結んで彼の隣を歩く。
孝宏は彼女のを握り込み、さらりと言った。
「そんなに緊張するな。俺はお前と寝るだけだ、浮気じゃない」
詩織は恥ずかしさと焦りで顔を赤め、すぐに声を潜めた。「……っ、しっ!声を抑えてよ!」
彼は本気で正面から言ってのける。
なんて恥知らず!
孝宏は前に歩きながら、何気なく言った。「何を照れてる。以前だって一緒に泊まったことがあるだろう」
詩織その一言で、詩織の耳まで赤く染まった。
――以前と今は違う。
あの頃は恋人同士、でも今は……何?
チェックインのカウンターで。
「お部屋は一室で?」と受付嬢。
孝宏は迷わず答える。
「一番いい部屋を」
彼女はちらりと詩織を見て、「お連れの方……あまり乗り気ではないようですが?」
孝宏は振り返り、半目を細めて微笑した。
「ただの恥ずかしがり屋だ」
詩織は言葉を失った。
部屋の前でカードキーをかざそうとしたとき、電話が鳴った。
孝宏は電話を取り出し、一瞥してから通話を始めた。「何だ?」
相手は霞。涙声で訴える。
「孝宏兄さん、熱が出て……つらいの。会いに来てくれない?」
どんな男でも揺さぶられるような、弱々しい声。
詩織の心がかすかに波立つ。
――彼はきっとすぐ彼女のもとへ行くだろう。
彼女は黙ってカードを取り、扉を開けて中へ入る。
そのまま閉めた。
せっかく部屋を取ったのだから、自分ひとりで泊まればいい。
だが、間もなくノックが響いた。
詩織は少し驚き、ドアを少しだけ開けた。
「何を拗ねてる?」
低い声。
扉を細く開けると、そこにまだ彼が立っていた。
彼はまだいた!
「……どうしてまだここに?」
孝宏はドア枠に寄りかかり、冷ややかに笑う。
「ここ以外、どこにいろっていうんだ?俺が取った部屋なのに、追い出すなんて、少し意地悪だろう?」
詩織は彼の視線を避け、唇を噛んだ。「わざとじゃなかったの」
彼が行くと思っていた、ただドアの外に立って、彼に置いていかれたくなかっただけだ。
彼は部屋へ入り込み、腰を抱き寄せて囁く。
「わざとじゃないなら……新しい遊びか?」
甘く低い声が耳を撫で、心臓が跳ね上がる。
詩織は思わず抗議した。
「石田霞が熱を出してるんでしょ?どうして行かないの?」
「俺は医者じゃない。行っても治せない」
孝宏は薄く笑い、「お前は、俺に彼女を見てほしいのか?」
答えられない。
彼は唇を吊り上げ、彼女の顎を強く掴んで口づける。
唇から首筋へ、舌先が熱を描く。
詩織はすぐに手を握りしめた。
キスは徐々に下へと広がり、男は目を閉じ、彼女の首筋に近づいて、軽く舐めて噛んだ。
「っ……」
小さく声を漏らすと、彼はそのまま抱き上げ、ベッドに投げ出した。
空気が一気に熱を帯びる。
大人同士、ここまで来て何もないはずがない。
詩織は全身を緊張させたが、もう抵抗しなかった。
けれど、孝宏は彼女を押さえ込んだまま、なかなか先に進まない。
「……心配なら、彼女のところへ行けば?私は一人で平気」
詩織は背を向けた。
孝宏は彼女の細い背中を見つめ、目の色が徐々に深くなった。
彼はその背中を見つめ、喉を鳴らす。
「……詩織。お前、焼きもちを妬いてるのか?」
笑みを含んだ声。
心臓が小さく跳ねる。
――嫉妬?
そんなはずない。彼が誰といようと、もう関係ないはず……。
詩織は慌てて布団をかぶり、顔を隠した。
「妬いてなんかない!ちっとも!ただ眠いだけ!」
「口だけは強情だな」
孝宏は苦笑し、布団を整えて囁く。
「でも俺、少し出かける」
彼女の耳元で低く囁いた。「買い物に行くんだ…」
その一言で、詩織の顔は一気に真っ赤に。
恥知らず!
「大人しく待ってろ。誰が来ても開けるな。俺が戻ったら――続きだ。」
……
彼はそう言って、立ち去った。
フロントに現れた彼は、冷ややかな眼差しで告げた。
フロント係は「お客様、何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけた。
「二人の宿泊記録を調べたい」
彼の表情は冷たく厳しく、黒い瞳は鋭く、全身から圧倒的な雰囲気を放っていた。
「申し訳ございません、お客様情報は――」
すぐさま、彼はポケットから身分証を取り出す。
「警察だ」
……
一方そのころ。
ベッドに凭れた詩織は、首筋に残る痕を撫でながら、じっと扉を見つめていた。
――二十分経っても戻らない
詩織は顔を向け、固く閉まった扉を一瞥し、眉をわずかに寄せた。
(……何を買ってるのよ。サイズでも迷ってる?)