第08話:灰になった愛
詩織は庭の芝生に立ち、メイドが運び出した思い出の品々を見つめていた。
五年分のアルバム。結婚式の写真立て。二人で選んだ食器セット。怜からのプレゼントの数々。
すべてが嘘だった。
「奥様、本当によろしいのですか?」
メイドが心配そうに尋ねた。
「ええ」
詩織の声は静かだった。もう迷いはない。
詩織は怜が大切にしていた赤ワインのボトルを手に取った。結婚記念日に開けるつもりだったヴィンテージワイン。
躊躇なく栓を抜き、思い出の品々にかけていく。
赤い液体が写真を濡らし、アルバムに染み込んでいく。まるで血のように。
ライターの炎が小さく踊った。
詩織はそれを写真の端に近づける。
炎が燃え移った瞬間、五年間の愛が音を立てて燃え始めた。
写真の中の笑顔が歪み、溶けていく。幸せだった頃の自分が灰になっていく。
詩織はスマートフォンを取り出し、中古品取引サイトを開いた。怜から贈られたバッグ、ドレス、アクセサリー。すべてを出品していく。
振込先の欄に、養護施設の口座番号を入力した。
彼からの愛の証は、本当に愛を必要とする子供たちのために使われるべきだ。
その時、怜のアシスタントから電話が鳴った。
「影宮様、奥様が庭で何かを燃やしていらっしゃいます」
慌てた声が聞こえる。
詩織は微笑んだ。もうすぐ彼が帰ってくる。
案の定、三十分後に車のエンジン音が響いた。信号無視を繰り返してきたのだろう、いつもより早い帰宅だった。
詩織は庭のロッキングチェアに座り、残った赤ワインを飲みながら鼻歌を歌っていた。
「詩織!」
怜が庭に飛び出してきた。燃え尽きた灰を見て、顔が青ざめる。
「何をしたんだ?」
「お疲れさま」
詩織は振り返らずに言った。
「大丈夫か?」
怜が心配そうに近づいてくる。偽りの優しさを装って。
「何か私に隠してること、ある?」
詩織が核心を突く質問をした。
怜の表情が一瞬強ばる。
「もちろんないよ。俺たちは夫婦なんだ、何も隠すことなんてない」
詩織は彼の後ろに、燃え尽きて灰になったものを見つめた。
彼の言葉で、心の奥にかろうじて残っていた熱が、とうとう消えた。
「その手、どうしたんだ?」
怜が詩織の包帯を巻いた手を見つめる。
「犬に噛まれたの」
詩織は嘘をついた。
「犬に?」
怜が慌てて救急箱を取りに走る。戻ってきて、甲斐甲斐しく手当てをしてくれる。
詩織は冷笑した。その嵐を運んできたのは、他でもない彼自身なのに。
「詩織、機嫌を直してくれ」
怜が詩織の手を包み込む。
「月曜日に詩音の歓迎会を開こう。その後で、お前がずっと行きたがっていた紅砂皇国へ星空観測旅行に行こう」
詩織は思い出した。三日後に「星が墜ちる」というブリタニア王国からのメールを受け取っていたことを。
皮肉なタイミングだった。
「歓迎会はやるに決まってる」
詩織が立ち上がった。
「私が手配するよ」
怜の顔が明るくなる。
「本当か?」
「ええ。とびきり素敵な歓迎会にしてあげる」
詩織の声には、怜には理解できない決意が込められていた。
怜は安堵の表情を浮かべ、スマートフォンを取り出した。
「実は、歓迎会でサプライズを用意してるんだ」
怜が嬉しそうに呟く。
「法的効力を持つ正式な住民票を渡して、名実ともに夫婦になろう」
詩織は静かに微笑んだ。
なんという皮肉だろう。彼が本物の結婚を成立させようとしている、まさにその歓迎会で——