第9話:追跡の果て
由美の手が荷物を詰めた段ボール箱を持ち上げた時、背後でドアが勢いよく開かれた。
振り返ると、蓮が立っていた。
「雫はどこだ」
冷たい声が部屋に響く。由美の顔に怒りが浮かんだ。
「あんたに教える義理はない」
「俺の質問に答えろ」蓮が一歩前に出た。「彼女は俺から四百万円をもらって消えた。協力しないなら警察に通報する」
由美が段ボール箱を床に叩きつけた。
「四百万円?」由美が冷笑した。「それは綾香へのマッサージ代でしょう。あんたが自分で渡したお金よ」
「嘘をつくな」
「嘘?」由美の声が震えた。「でなければ、あんたの親友はどうして、たった二千万で俺から離れたんだ?」
蓮の言葉に、由美の顔が呆れに変わった。
「頭が悪いのね」
それ以上話すことをやめ、由美は部屋を出て行った。
蓮が一人残された部屋で、アシスタントが駆け込んできた。
「月城様」息を切らしながら報告する。「白雪さんはK国に向かいました」
「K国?」
「はい。昨夜の便で出国されています」
蓮の携帯電話が鳴った。黒崎からの着信だった。無視する。
再び鳴る。今度は「奥様」の表示。それも無視した。
「今すぐ飛行機のチケットを手配しろ」蓮がアシスタントを鋭い一瞥で制した。「そこに向かう」
「しかし、明日は重要な会議が——」
「今すぐだ」
――――
K国の病院。
雫は医師の前に座り、説明を聞いていた。
「明日、最高級の人工内耳を植え込みます」医師が優しく微笑んだ。「左耳の聴力が完全に回復し、補聴器を使う必要がなくなります」
雫の目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
長年の苦しみから、ついに解放される。新しい人生が始まる。
「今夜は病室に空きがないので、婦人科でお休みください」
雫は頷いた。疲労困憊していた彼女は、ベッドに横になると深い眠りについた。
夢の中で、雫は聞こえる世界にいた。鳥のさえずり、風の音、人々の笑い声。すべてが鮮明に聞こえる。
翌朝。
雫がゆっくりと目を開けた。
目の前に、見慣れた顔があった。
「蓮」
夢うつつの中で、彼の名を呼んだ。
「馴れ馴れしく呼ぶな!」
暗い病室に男の声が響き渡った。
雫はようやくそれが夢ではなく、目の前の男が本物の蓮であることに気づいた。