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Chapter 15: 第十五話 都からの追放

 夜明けと共に、藤原家の屋敷は慌ただしく動き始めた。追放される蓮麻呂を護送するための準備が整えられている。庭には質素な馬車が用意され、武装した護衛兵が待機していた。

 蓮麻呂は最後の朝食を家族と共にした。しかし、食卓の空気は重苦しく、誰も言葉を発しようとしない。

「蓮麻呂」

 ようやく蓮太郎が口を開いた。その表情には、微かな後悔の色が浮かんでいる。

「兄上」

「……元気でな」

 それだけだった。もっと言いたいことがあるような様子だったが、蓮太郎は最後まで本音を語らなかった。

 蓮次郎は終始無言だった。時折蓮麻呂を見る視線には、複雑な感情が込められていたが、その真意を読み取ることはできなかった。

 道長は息子の肩を叩いた。

「行け。新しい道を切り開くのだ」

「はい、父上」

 蓮麻呂は深く一礼した。これが家族との最後の対話になるかもしれない。しかし、恨み言を口にするつもりはなかった。

 屋敷の門前には、小菊が涙を流しながら立っていた。

「若様……」

「小菊、今まで本当にありがとう」

 蓮麻呂は侍女の頭を優しく撫でた。彼女だけは、最後まで自分を信じてくれた。

「私、ずっと若様のご帰還をお待ちしています」

「ありがとう。でも、君も自分の人生を大切にしてくれ」

「いえ、私は若様のお帰りを……」

 小菊は最後まで言い切れずに嗚咽を漏らした。蓮麻呂も目頭が熱くなったが、涙を見せるわけにはいかなかった。

「若様、お時間です」

 護衛隊長が声をかけた。いよいよ出発の時が来た。

 蓮麻呂は質素な馬車に乗り込んだ。持参できたのは最小限の荷物のみ。着替え、書籍数冊、そして父からもらった霊石。それだけが全財産だった。

 馬車が動き出すと、屋敷が次第に遠ざかっていく。生まれ育った場所、家族、そして青春の思い出――全てが過去のものとなっていく。

「御曹司」

 護衛兵の一人が声をかけてきた。その表情には明らかな軽蔑の色があった。

「何でしょうか?」

「妖怪と契約を結ぶとは、情けない話ですな」

 他の護衛兵たちがくすくすと笑った。彼らにとって、蓮麻呂は既に罪人でしかないのだ。

「私はそのようなことはしていません」

「ほう、まだ否認するのですか」

 護衛隊長が冷やかに言った。

「証拠も証人もあったというのに」

「それらは全て偽造されたものです」

「偽造……」

 護衛兵たちが再び笑った。

「往生際が悪いですな」

 蓮麻呂は反論をやめた。何を言っても信じてもらえないことは明らかだった。

 馬車は都の街道を抜け、次第に人里離れた道へと向かった。周囲の景色も、だんだんと荒涼としたものに変わっていく。

「それにしても、鬼ヶ島とは災難ですな」

 護衛兵の一人が同僚に向かって言った。

「ああ、あそこは妖怪の巣窟だからな。人間が長く生きられる場所じゃない」

「前の領主も、大妖怪にやられたって話だし」

「つまり、事実上の死刑ってことか」

 彼らは蓮麻呂が聞いているにも関わらず、平然とそんな話をしていた。

(鬼ヶ島……確かに厳しい場所らしい)

 しかし、蓮麻呂の心に恐怖はなかった。むしろ、新しい挑戦への期待の方が大きかった。

(隠れた実力を存分に発揮できる場所かもしれない)

 都では政治的配慮で力を隠さなければならなかった。しかし、辺境の地なら、誰に遠慮することもない。

 初日の夜は、街道沿いの粗末な宿で過ごした。護衛兵たちは酒を飲みながら大声で話していたが、蓮麻呂一人だけ離れた部屋に押し込められた。

 食事も質素なもので、明らかに罪人扱いだった。しかし、蓮麻呂は文句を言わなかった。

(これも修行のうちだ)

 前世の記憶があるおかげで、逆境を前向きに捉えることができる。この状況さえも、成長のための試練だと思えばいい。

 二日目の夕方、馬車は山道で野盗の襲撃を受けた。

「うわあああ!」

 護衛兵たちの悲鳴が響いた。十数人の武装した盗賊が、四方から現れたのだ。

「金目のものを全て置いていけ!」

 盗賊の頭らしき男が叫んだ。護衛兵たちは慌てふためいている。

「どうする、隊長!」

「戦うしかない!」

 しかし、護衛隊長は早々に戦意を失った。

「待て、待ってくれ!我々は罪人の護送中だ。金など持っていない」

「嘘をつくな!藤原家の馬車だろう?」

 盗賊たちは護衛兵を蹴散らし、馬車に迫ってきた。護衛兵たちは蓮麻呂を見捨てて逃走を始めた。

「すまん、後は運を天に任せろ!」

 護衛隊長まで逃げ出してしまった。蓮麻呂は完全に一人きりになった。

「ほう、若い貴公子じゃないか」

 盗賊の頭が馬車を覗き込んだ。その目つきは明らかに悪意に満ちている。

「身代金が取れそうだな」

「ちょっと待ってください」

 蓮麻呂は冷静に言った。

「私は追放された身です。身代金など期待できませんよ」

「追放?」

 盗賊頭が眉をひそめた。

「何をやらかした?」

「妖怪と契約を結んだという濡れ衣を着せられました」

「妖怪と契約……」

 盗賊たちがざわめいた。

「それが本当なら、こいつは危険だぞ」

「殺してしまった方がいいんじゃないか?」

 盗賊たちが武器を構えた。蓮麻呂は深呼吸をした。

(ついに、実力を隠す必要がなくなったな)

 都を離れて初めて、蓮麻呂は心の底から自由を感じていた。政治的配慮も、家族への遠慮も、もう必要ない。

「――申し訳ありませんが」

 蓮麻呂は立ち上がった。その瞳に、これまでにない力強い光が宿っている。

「お相手させていただきます」

 夕日を背に立つ蓮麻呂の姿は、まるで別人のようだった。彼はもはや追放された哀れな青年ではない。真の実力を秘めた、陰陽師であった。


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