第2話:悪夢の中の真実
[氷月詩織の視点]
暗闇の中で、私は走っていた。
「詩織!戻ってきなさい!」
父の怒声が背後から響く。振り返ると、母が涙を流しながら立っていた。
「あんな男のために、家族を捨てるつもりなの?」
「お父さん、お母さん、私は怜さんを愛してるの!」
必死に叫んでも、両親の姿はどんどん遠ざかっていく。
突然、景色が変わった。
「詩織」
優しい声に振り向くと、怜が微笑んでいた。あの頃の、私だけを見つめてくれていた怜が。
「君のために、星を買ったんだ」
手のひらに小さな証明書を載せて差し出す。
「『詩織星』。この宇宙で君だけの星だよ」
涙が溢れた。5年前、結婚の申し込みと一緒にもらったプレゼント。国際天文学連合に正式に登録された、私だけの星。
「怜さん……」
抱きしめようとした瞬間、怜の後ろから女性が現れた。
美しい黒髪の女性。綾辻美夜。
「怜、行きましょう」
美夜が怜の腕を取る。
「ああ、そうだな」
怜は振り返ることなく、美夜と共に歩き去っていく。
「待って!怜さん!」
叫んでも、二人の姿は闇に消えていく。
「いやああああ!」
悲鳴を上げて飛び起きた。
汗でシーツが濡れている。心臓が激しく鼓動していた。
「詩織?大丈夫か?」
隣で怜が心配そうに身を起こす。
「悪夢を見たんだ。大丈夫、ただの夢だよ」
優しく背中を撫でてくれる手。でも、その温もりがもう信じられない。
「私は……私は誰なの?」
思わず口から出た言葉。
「何を言ってるんだ?君は詩織だ。俺がこの世で一番愛する人。それと、影宮の正妻だよ」
正妻。その言葉に胸が締め付けられる。
嘘つき。
心の中で叫んだ。でも、表情には出さない。
「そうですね。ありがとう、怜さん」
「住民票のことなんだけど——」
言いかけた時、怜のスマートフォンが鳴った。
画面に表示された名前。『美夜』。
怜の表情が一瞬変わる。
「会社で急用ができた。すぐに行かなければ」
電話に出ながら立ち上がる。
「今すぐ行く」
美夜に向かって言っているのは明らかだった。
「こんな時間に?」
「重要な案件なんだ。すまない」
慌ただしく着替えて、怜は家を出て行った。
一人になった部屋で、私は膝を抱えて座り込んだ。
全てが崩れていく。5年間信じてきた愛も、結婚も、全部嘘だったのだ。
----
その頃、星見の揺り籠では、院長が詩織に電話をかけようとしていた。雫の養子縁組について、緊急に相談したいことがあったのだ。
「氷月さんでしょうか。実は雫ちゃんのことで、お話があります」
「今すぐ来ていただけますか?」
----
[氷月詩織の視点]
院長からの電話を受けて、私は車で星見の揺り籠へ向かった。
雫のこと。あの子を養子に迎えたいと思っていた。でも今となっては、それも怜の計画の一部だったのかもしれない。
施設に着くと、踊り場に人影が見えた。
怜だった。
なぜここに?
声をかけようとした瞬間、一人の女性が怜の胸に飛び込んだ。
黒髪の美しい女性。夢で見た顔と同じ。
美夜。
怜は美夜を優しく抱きしめている。私には見せたことのない、本当に愛おしそうな表情で。
「大丈夫だ。心配するな」
怜の声が聞こえる。
「でも、雫のことが……」
美夜が泣きながら言う。
「安心して。娘は他の誰にも渡さない」