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Chapitre 10: 第十話 露呈する才能

 秋の深まりと共に、都には不穏な空気が漂っていた。橘家の政治工作が日増しに活発化する中、思わぬ事件が発生した。

「妖怪が陰陽寮に!?」

 蓮麻呂は小菊からの報告に驚愕した。朝の修行を終えたばかりだったが、緊急事態の知らせに慌てて身支度を整える。

「はい。上級妖怪の『鬼熊』が寮内に乱入し、多数の陰陽師が負傷しているとのことです」

 鬼熊――蓮麻呂は前世の知識と現世の記憶を照合した。巨大な熊の妖怪で、怪力と頑丈な毛皮を持つ危険な存在。通常は山奥に棲息し、人里に現れることは稀だった。

「父上や兄上たちは?」

「既に現場に向かわれました。若様もお急ぎくださいとのことです」

 蓮麻呂は慌てて陰陽師装束に着替えた。深い青の狩衣に、白い小袖。腰には霊符を収めた袋を下げる。表向きは駆け出しの陰陽師だが、実際の実力は既に兄たちを上回っているかもしれない。

(でも、今日も実力は隠すべきだろうか?)

 陰陽寮に到着すると、現場は混乱の極みだった。建物の一部が破壊され、負傷した陰陽師たちが次々と運び出されている。そして、中庭では巨大な黒い影が暴れ回っていた。

「グルオオオオオ!」

 体長三メートルはある巨大な熊の妖怪が、陰陽師たちの攻撃を物ともせずに暴れ続けている。その毛皮は鋼鉄のように硬く、普通の術式では傷一つ付けられない。

「火術、効きません!」

「水術も弾かれます!」

 現場の陰陽師たちが次々と後退していく。中には一級陰陽師もいるはずだが、鬼熊の圧倒的な力の前では無力だった。

「蓮麻呂、下がっていろ!」

 蓮太郎が弟に向かって叫んだ。彼自身も額に汗を浮かべながら、必死に術式を放っている。

「炎弾・連射!」

 蓮太郎の火術が鬼熊に向かって飛んだが、やはり効果は薄い。鬼熊はむしろ怒りを増したように、より激しく暴れ始めた。

「結界術で動きを封じるのです!」

 蓮次郎が叫びながら複雑な術式を展開した。土の結界が鬼熊の足元に現れるが、怪力であっさりと破壊されてしまう。

「くっ、硬すぎる!」

 その時、鬼熊の視線が観戦している蓮麻呂に向けられた。血走った赤い目に、明確な殺意が宿っている。

「危ない!」

 誰かが叫んだ瞬間、鬼熊が蓮麻呂に向かって突進してきた。その巨体が迫る速度は想像以上で、周囲の陰陽師たちも間に合わない。

(まずい!)

 咄嗟に、蓮麻呂の頭の中で前世の知識が高速回転した。鬼熊の弱点は何か? 物理的な硬さに頼る妖怪なら、分子レベルでの攻撃が有効なはず。

「炎術・分子振動式!」

 蓮麻呂の右手から放たれた炎は、見た目には小さな火球だった。しかし、その本質は全く違う。分子レベルでの高速振動を引き起こし、どんな物質でも内部から破壊する究極の炎術。

 火球が鬼熊に当たった瞬間、信じられない光景が展開された。

「グルアアアアア!」

 鬼熊の巨体が、まるで煙のように消散していく。その毛皮の硬さも、巨大な体躯も、全てが分子レベルで分解されていった。わずか数秒で、恐ろしい妖怪は完全に浄化されてしまった。

「え...?」

 中庭に死のような静寂が落ちた。全ての陰陽師が、蓮麻呂を見つめている。その表情には、驚愕と困惑が入り混じっていた。

「今の術式は……」

「一撃で鬼熊を……」

「蓮麻呂殿がですか?」

 ざわめきが次第に大きくなっていく。蓮太郎と蓮次郎も、弟を見る目が明らかに変わっていた。

「蓮麻呂……」

 蓮太郎が震え声で呼んだ。

「今の術式は、どこで覚えた?」

(しまった……)

 蓮麻呂は自分の失敗を悟った。咄嗟の判断とはいえ、あまりにも目立ちすぎる技を使ってしまった。これでは実力を隠すどころの話ではない。

「あ、あの……」

 何と答えるべきか迷っていると、安倍晴明が現れた。陰陽寮の最高責任者である彼の表情も、強い興味を示している。

「蓮麻呂殿」

 晴明が近づいてきた。

「今の術式について、詳しく教えていただけますか?」

「それは……」

「見たところ、従来の火術とは全く異なる理論に基づいているようですが」

 周囲の視線が痛いほど感じられる。蓮麻呂は咄嗟に言い訳を考えた。

「独自に研究していた術式です。まだ理論的に完成していないので……」

「ほう、独自に?」

 晴明の瞳が光った。

「興味深い。後日、詳しくお話を聞かせていただければ」

「はい……」

 蓮麻呂は小さく頷いた。しかし、心の中では警鐘が鳴り響いている。これで完全に注目を集めてしまった。政治的に微妙な時期に、これほど目立つとは。

 帰路の牛車の中で、家族の間には重い沈黙が流れていた。そして、蓮次郎が口火を切った。

「蓮麻呂」

「はい」

「いつから、そのような術式を使えるようになったのです?」

 その声音には、明らかな疑念が込められていた。蓮麻呂は慎重に答えた。

「最近、独学で研究していまして……」

「独学で?」

 蓮次郎の笑みには、冷たいものがあった。

「鬼熊を一撃で倒すほどの術式を?」

「偶然、うまくいっただけです」

「偶然……そうですか」

 蓮次郎はそれ以上追及しなかったが、その表情には明らかに不信の色があった。そして、その夜から、蓮麻呂の周囲で奇妙なことが起こり始める。

 隠していた実力が露呈してしまった今、政治的な嵐は予想以上に早く、蓮麻呂の身に降りかかろうとしていた。


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