「俺は君のマスターでもないし、君もそんなことは一言も言ってない!……それより、この女はどうなってる!?なぜ気絶してないんだ!!!」
聖女がはっきりと立ち上がるのを目にして、ウェイは完全に言葉を失った。まさか、こんな展開になるとは夢にも思っていなかった。
「聖女……?どうして……なぜ君が邪神の信徒たちなんかと一緒にいるんだ?」
ウェイの声は、怒りとも困惑ともつかない震えを帯びていた。
幸い、さっきの時点で殺さずに済んだ。もしあの場でロタイの教会の聖女を殺していたら――教廷が犯人を徹底的に追わないはずがない。誰もそんなこと、信じはしないだろう!
そうなっていたら、裏口で帝国の戸籍を手に入れた自分なんて、間違いなく真っ先に調査対象にされていただろう。せっかく手にした穏やかな日常も、一瞬で水の泡になるところだった。
「わ、私は……教会に潜入していたの。重要な時に、道を踏み外した邪神の信徒たちを救って、教廷の作戦に協力するつもりだったのよ」
アリスはおそるおそる立ったまま、小さな声でそう答えた。目の前の謎めいた男を前に、胸の鼓動が抑えきれないほど高鳴っていた。
これが――教廷が誇るという強力な騎士たちなのか?
帝国でも名門と称される公爵家の後継者として、アリスは幼いころから教廷に入り、騎士になることを夢見ていた。
そして物語に描かれる英雄のように、聖槍を掲げ、あらゆる悪を討ち払い――アリシア女神の光だけが満ちる世界を創り出すことを、ずっと夢見ていた。
何度も父に懇願した末に、ようやく教廷入りは許されたものの――結局は「聖女候補」という肩書きに留まり、望んだ騎士の道を歩むことはできなかった。
それでも構わない――功績を立て、自分の力を証明できればいい。そうすれば、あの父でさえ、自分が騎士になることをきっと認めてくれるはずだ!
まさか――そのチャンスが、こんなにも早く訪れるなんて?
邪神教会に潜入し、決定的な瞬間にマントを脱ぎ捨て――自らの胆力と勇気を、この身で証明してみせるのだ。
目の前で高純度の聖光スキルを放つ、明らかに教廷騎士と思しき謎の人物に向かって、彼女が何かを言いかけた――まさにその瞬間。
だが次の瞬間――
「うっ!!!」
抵抗する間もなく、息を奪うような圧迫感と、全身を貫く激痛が一気に襲いかかった。
それは、まったく抗うことのできない恐ろしい力だった。アリスは目を大きく見開き、苦しげに自分の喉を掴んだ。
彼女の体は制御を失い、まるで見えない手に掴まれたかのように宙へと浮かび上がった。
「あなた……いったい、何を……」
アリスは困惑と恐怖の入り混じった瞳で、仮面の男を見つめた。その瞬間、死の恐怖が押し寄せる波のように、全身を覆い尽くした。
それは、これまでに感じたことのない異様な感覚だった。脳の奥からめまいが広がり、視界が揺らめく。意識がゆっくりと、深い霧の中へと沈み込んでいった。
まるで――温室で大切に育てられてきた花が、突然嵐の只中に放り込まれたかのようだった。死の気配がこれほどまでに生々しく迫るとは、思いもしなかった。
「俺は教廷の騎士なんかじゃないぞ、お嬢さん」
ウェイはそう言い放ちながら、宙に浮かせたままの聖女の喉をさらに締め上げた。そしてその瞬間――ふと、教皇の足を引っ張ってやるという妙案が頭に閃いた!
周知のとおり、今の新任教皇は、その地位の足元がきわめて不安定だということで知られている。
就任以来、世界各地で邪神による災厄が次々と発生し、さらに自ら率いた魔族討伐隊も、これまでまったく成果を上げていない。――まるで「すべての責任は教皇にある」と言わんばかりの、皮肉な状況だった。
「もし今この好機を突いて、密かに罠を仕掛け、こっそりあいつの足をすくったら――どうだ?」ウェイは一瞬目を細め、頭の中でささやかな悪巧みを巡らせた。
適当に彼女にレッテルを貼り、謎めいた言葉で教廷の聖職者と民衆を混乱させ、教皇への不信を煽る――それでいい。
成功するかどうかに関わらず、彼が疑いの目にさらされるだけで勝利だ。教廷にひとつでも面倒を増やせれば、それで十分だ。
今、目の前にいるこの聖女こそ、まさに最適な利用対象だった。そう考えたウェイは、意図的に目つきを鋭くし、底知れぬ恐ろしさを滲ませた。
「あなた……」
意識が徐々に遠のいていく中で、アリスには何が起きているのか、まるで理解できなかった。
教廷騎士じゃない?どうして?だって、彼が使っているのは――間違いなく聖光エネルギーじゃないの?
アリシアを信奉する教廷の神職者だけが聖光エネルギーを扱うことができ、しかも、これほど高純度の聖光を放てるのは上級神職に限られている。――それなのに、どうして彼が教廷の騎士ではないというの?
しかし次の瞬間――彼女を恐怖のどん底へ突き落とす出来事が起こった。
邪神の体に突き立っていた聖潔の光刃が、突如として激しく震え始めた。
残っていた高純度の聖光が、アリスの信じられないまなざしの中で――ほんの一瞬にして、漆黒へと染まりきった。
それは、まさに悪魔の血と同じ――おぞましい気配を放っていた。
冷たく、混沌とし、そして――堕落していた。
邪神の信徒だけが操ることを許された――最も純粋なる邪神の力だった。
周囲のすべてが、そのエネルギーの波動とともに急速に枯れていった。植物も、地面も、そして――空気さえも。
「や……やめて……!」
――彼は教廷騎士なんかじゃない!邪神の信徒だ!!
後悔、無念、そして絶望――それらすべての感情が、押し寄せる波のように胸の中で絡み合った。
立ち上がらなければ、何も起きなかった。功を焦らなければ、こんなふうに標的にされることもなかったはずだ。
涙が勝手に頬を伝い落ち、その瞬間、心の奥に残っていたわずかな勇気さえも――粉々に砕け散った。
アリスの意識はゆっくりと闇に沈み、倒れる直前――どこからともなく、かすかなため息の音が耳に届いた。
「まあいい、教皇陛下の面子は立ててやる。命だけは助けてやろう。あいつとの協力関係もあることだしな」
「あいつの人間に手を出せば計画にも影響するからな……今度は……俺たちに近づかないことだ……秘密にしておけよ」
「ぽとん――」
完全に意識を失ったアリスは、ウェイの手によってゴミのように地面へと投げ捨てられた。彼はそのまま、遠くで異様なまでに邪悪へと変質した光刃を、冷ややかに一瞥した。
軽く手を振ると、見慣れた聖なる気配が再び爆ぜ、辺りに一瞬だけ神聖な光が満ちた。問題がないことを確かめたウェイは、そのまま光となって天へと昇り、瞬く間に姿を消した。
数分後――。
「ドォン!!!」
金色のまばゆい光流が、轟音とともに遠方の空から突如として降臨した。
極限まで純化された聖光の嵐が、着地の瞬間――爆発的な勢いで周囲一帯へと広がり、天地を白く染め上げた。
そして、金色の光柱の中から姿を現したのは――聖光の鎧をまとい、凛とした気配を放つ女性騎士だった。
無数の雷光が千の糸のように聖槍を取り巻き、眩い閃光とともに轟音を響かせる。彼女はその槍を握りしめ、周囲を一瞥した――圧倒的な威厳を放ちながら、空気を震わせるほどの声で致命的な警告を発した。
「教廷大審判騎士、メイリンだ。全員、抵抗をやめろ。さもなければ容赦なく処断する……ん?」
しかし、目に映った光景がその言葉を途中で遮った。
無数の黒装束の人影が地面に倒れ、もはや抵抗の気配はなかった。空気には強烈な邪悪の気が満ち、そこにいた者たちが邪神の信徒であることをはっきりと示していた。
そして何より目を引いたのは――遠くの地面に、強烈な聖光で形成された無数の光刃が突き立ち、腐敗した死体たちを容赦なく地へと縫いとめていたことだった。
それは、死してなお恐ろしい存在だった。黒い血を流し続け、周囲に凄まじい邪悪の気配を放っている。目を合わせた瞬間、まるで肉体そのものが拒絶するように、鋭い痛みが全身を走った。
「これは……悪魔!?」
メイリンの瞳孔がわずかに縮む。目の前の光景が信じられなかった。とりわけ、死体から放たれているそのおぞましいオーラ――それは、彼女の知るどんな魔物とも異質だった。
報告にあった第七階級の悪魔とは明らかに異なる。この空気までも汚染する黒い血――それは、第八階級の悪魔だけが放つ、致死の穢れだった。
しかし、それほど強大な存在でありながら――その力を封じている神聖の光刃は、微動だにせず、崩れる気配すらない。まるで絶対的な力で、悪魔を完全に圧倒しているかのようだった。
「第八階の悪魔を、これほど容易く封じ込めるなんて……」メイリンは眉をひそめ、光刃を見つめた。「私でさえ、通常の状態では到底成し得ない。――いったい、誰の仕業だ?」
ここで何が起きたのか、まったく見当もつかない。だが幸いなことに、現場にはまだ邪神の信徒の死体が残っている。そこから何かしらの手がかりを得られるかもしれなかった。
「ん……私……死んだの……?」
その瞬間、かすかな呟きが静寂を破った。メイリンは即座に反応し、警戒のまなざしを向けて傍らを見た。
恐怖に染まりながらも、どこか見覚えのある幼い顔――。それを目にした瞬間、いつも冷厳な審判騎士メイリンの表情が揺らいだ。信じられない、と言わんばかりに、瞳が大きく見開かれた。
「アリス!?なぜ君がここにいる!」