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「玲奈! 渡辺監督のあの番組、今すぐ行ってこい! 聞こえてんのか!」
「自分から出たいって言ったんだろ! 一人だろうが、親の代役を雇おうが知ったことか。這ってでも出るんだよ!」
鼓膜を裂くような怒号。坂本玲奈(さかもと れな)は、強制的に意識を浮上させられた。
夢かと思った。そうでなければ撮影中か。だが、違う。転生したのだ。
状況は把握している。ここは、自分と同姓同名の悪役令嬢が存在する「偽物お嬢さま&本物お嬢さま」ドラマの世界。
かつて演じた中でも、最高に救いのない三流ドラマの脚本そのままだ。
この「坂本玲奈」は、本物の令嬢だった。
豪門・坂本家の実の娘として戻ったものの、両親や兄たちからは疎まれ、冷遇された。
焦った彼女は気を引こうと悪あがきを繰り返し、結果として自滅。本来なら優秀な人物であるはずの養父母や義兄弟まで巻き込み、偽の令嬢であるヒロイン・坂本愛莉(さかもと あいり)の引き立て役として悲惨な最期を遂げる。
そして、このバラエティ番組こそが、転落の始まりだった。
ヒロイン・愛莉の真似をして芸能界入りし、坂本グループ令嬢という肩書きを売り込む。
家族に認められてもいないのに、愛莉の幼馴染である有名監督とのカップリング営業に固執する。
あげく、愛莉の後を追って「両親と出演する」この番組への参加を決めてしまった。
だが、家族揃って出演するこの番組に、実の両親が来ることはない。
彼らは愛莉の両親として出演し、愛莉を溺愛する姿を全国に晒すのだ。
置き去りにされた玲奈は、惨めにも「他人の親」にすがりつき、ご機嫌取りをして、完全に世間の笑い者になる。
配られたカードは、最悪だ。
玲奈は思考を整理し、目の前の男を一瞥した。 前田賢一(まえだ けんいち)。この身体の持ち主のマネージャーだ。「分かった。番組には出る。……だから出ていって」
「……は?」前田は拍子抜けした顔をした後、すぐに憎々しげに玲奈を睨みつけた。「生放送だぞ。本物の令嬢である坂本愛莉も、ご両親もいる。これ以上問題を起こしてみろ、芸能界から追放してやるからな!」
前田には理解できないのだろう。この女、どういう神経してたら、自分を『坂本家のお嬢さま』だなんて売り込めるんだか。
黙っていれば女神のような美貌を持っているのに、なぜこうも中身が残念なのかと。
玲奈は何も答えず、無表情のままドアを叩きつけた。 バァン、と乾いた音が響く。
原作では、この番組への出演は玲奈自身が多額の違約金覚悟でねじ込んだものだった。制作側も、彼女の炎上体質を数字に変えようと画策している。
この番組をきっかけに、彼女は芸能界一の嫌われ者へと堕ちていく。
最後には誰にも看取られず、野垂れ死ぬ運命。
葬儀を出してくれたのは、実の家族ではなく、かつての養家である阿部家の義兄弟たちだけだった。
そして彼らもまた、坂本家の報復によって潰されていく。
逃げ場はない。違約金を払う金もない。なら、やるしかない。
思考を巡らせていると、玲奈のスマートフォンが震えた。
ディスプレイに表示された名前は『坂本史明』(さかもと ふみあき)。坂本家の長男だ。
坂本家には五人の子供がいる。
愛莉は末っ子で、上に四人の兄。
対する養家の阿部家も五人兄弟で、玲奈は四番目。下に弟がいる。
通話ボタンをタップする。冷ややかな男の声が鼓膜を打った。
『玲奈。戻ってきて愛莉に謝れ。あの番組は降りろ。違約金なら出してやる』
「断る、と言ったら?」
『……俺たちは行かないぞ』史明の声が一段低くなる。『愛莉と張り合うために一人で出るつもりか? これ以上、家の恥を晒すな』
「それは、関係のないことよ」
『なんだと、お前――』
相手が机を叩く音が聞こえたが、玲奈は構わず通話を切った。
芸能界の遊戯。元の玲奈には荷が重かったかもしれないが、今の玲奈には通用しない。
それにしても、脚本を読んだ時から疑問だった。この悪役令嬢は本当に坂本家の血を引いているのだろうか? これほどまでに冷遇されるなんて。
鏡を見る。 映っているのは、派手な顔立ちの美女。転生前の自分とよく似ている。
ただ、使い方がなっていなかっただけだ。
どんな名刀も、使い手が愚かではナマクラに終わる。
玲奈は薄いメイクを施し、服を着替えると、家を出た。 番組スタッフには、新しい位置情報を送信済みだ。
三十分後。番組『愛する家族』の公式アカウントがゲストを発表し、ライブ配信がスタートした。
【公式:仕事に追われる日々、家族と過ごす時間を忘れていませんか? 温かいご飯、心のこもったスープ、愛に満ちた食卓。彼らの24時間を覗いてみましょう! 出演:岡本凛太郎、坂本愛莉、坂本玲奈、村上美咲、井上昭彦、小林昭夫。本日午前10時、配信開始!】
この番組はライブ配信がメインだ。六つのチャンネルで各ゲストの自宅から中継が始まり、午後には指定された集合場所へ向かう構成になっている。
配信開始と同時に、コメント欄は爆発的な勢いで流れ始めた。
坂本愛莉は今をときめく人気女優。
岡本凛太郎は、玲奈が一方的にカップル売りを仕掛けていた有名監督であり、愛莉の幼馴染。
二人は公認の仲ではないものの、「エリリンCP」として絶大な人気を誇っている。
そこに、お騒がせ女の坂本玲奈が混ざるのだ。視聴者の期待は「炎上」一色だった。
『キャー! 愛莉ちゃん待ってた!』
『エリリンCP尊い! 結婚して!』
『おい見ろ、坂本アマがついに化けの皮を剥がされるぞ』
『玲奈マジで消えてくんない? 愛莉ちゃんと岡本監督がいるからって寄生しに来たんだろ? パパ活の資金が尽きたか?』
『いや、逆に楽しみだわ。どこの誰を親として連れてくるのか見ものじゃん』
玲奈のチャンネルには、瞬く間にアンチが雪崩れ込んでくる。
その頃。 玲奈の担当カメラマンは、指定された住所に愕然としていた。高級住宅街ではない。 そこは、古びた団地の一角だった。
薄暗く狭い共用廊下。壁にもたれるようにして、一人の少女が立っている。黒のショート丈タンクトップ。切りっぱなしの裾から覗くウエストは、折れそうなほど細く、引き締まっている。
ボトムスは鮮やかなブルーのワイドパンツ。長い脚が、そのシルエットだけで分かった。無造作に下ろした黒髪が、白磁のような肌と鋭い鎖骨のラインを際立たせている。
錆びついた鉄扉の前。場違いなほどの美女が、レンズに向かって気だるげに手を振った。ふわり、と唇が弧を描く。「おはよう」
「やっ……べ」
PDの青年は思わず声を漏らし、カメラを揺らした。放送禁止用語スレスレの感嘆。
『え、待って。誰この美女』
『ここ玲奈のチャンネルだよな? 家、ボロすぎない?』
『PDの声入ってるwww 素で驚くなwww』
『ちょっと待って、スタイル良すぎ……鎖骨で水が飲めそう』
「えっと……坂本玲奈さん、ですか?」PDがおずおずと尋ねる。
「そうよ」玲奈は短く答え、背後の鉄扉をノックした。コンコン、と軽い音が響く。「ちょっとボロいけど、我慢してね」
直後。ギギィ、と蝶番の軋む音とともに、扉が開いた。
現れたのは、日焼けした肌の浅黒い中年男性と、白髪の混じり始めた質素な身なりの女性。
「玲奈……?」母親らしき女性、阿部の母は、目の前の玲奈を見て目を丸くした。「帰ってきたのかい?」