「すっげぇ……」
俺は周囲に広がる庭園と、目の前の大きな屋敷を見て、思わず声を漏らす。
魔獣を倒した後、俺は少女と、その護衛の兵士たちに保護される形となった。
どうやら少女はとても偉い貴族のお嬢さんだったらしい。
ただ、まだ信用はされていないようで、他の荷物と一緒に荷台に乗せられて、終始兵士に監視されながらの移動だった。
そうして着いたのがこの屋敷だ。
日本ではこんな建物を拝めるのは博物館とか美術館とかくらいだろう。
そんな大きな建物と庭が一つの家の所有物なのだから驚きだ。
「なにを呆けている? ついてこい野良犬」
馬車から降りてきた少女が自然体で犬呼ばわりしてくる。
頭の怪我は魔法で治癒したらしいが、ところどころ裂けたドレスが痛々しい。
しかし、それを打ち消す美貌だ。年下のはずなのに、口調と身に纏う雰囲気が格上の人間だと思い知らされる。
とはいっても、俺はこの少女の名前すら知らない。
俺は犬呼ばわりされたことに腹を立てて、無礼かもしれないが声を荒げた。
「い、犬じゃねーよ! 俺にはちゃんと赤崎拓海って名前があるんだよ!」
「ふむ。聞かぬ響きだな。なんと呼ばれたい?」
「そ、そりゃ……タクミとか、アカサキとか……」
唐突にどう呼ばれたいかなんて聞かれると返答に困る。
しどろもどろに俺が言うと、少女は顎に手を当ててどうでもよさそうに言う。
「ではタクミと呼んでやろう。感謝せよ」
「あっ、はい。……じゃなくて、アンタの名前を教えろよ! 名乗り返すのが礼儀ってもんだろ!」
「ふっ、野良犬風情が礼儀を持ち出すとは。だが、いいだろう」
少女は薄く笑って、スカートの両端をつまんで持ち上げた。
「私の名はアリアンナ・ヴァル・デサンティス。この帝国の子爵家、デサンティス家の長女だ」
「お、おう……」
名前が長い。一回聞いただけで覚えられるだろうか、という心配が浮かぶ。その上――。
「――……ししゃくけ、って偉いのか?」
「阿呆か貴様。いや、犬に家の序列などわからんか。まぁいい。私のことはアリアと呼べ」
「アリア……さん?」
「犬が人並みに敬称をつけるな。アリアと呼べ」
表情も変えずそういうアリアに、俺は困惑した。
見下されているのか、対等に呼び合いたいのか、よくわからない。ここまで表情から考えが読めない人間というのも初めて見た。
けれど、一応は今、普通に話をしてくれているのだと解釈して、俺はその名を口にする。
「わ、わかった。アリア」
「よし。ではまずその小汚い恰好をどうにかしろ。ついてくるがいい」
そう言って、アリアはずんずんと屋敷の扉へ向かう。
待ち構えていたメイドたちがお辞儀をしてから扉を開けると、なんのためのスペースかもわからないロビーに出た。
「「「お帰りなさいませ。お嬢様」」」
「うむ」
ずらっと並んだメイドたちが一斉にお辞儀をする。
それに対してしっかりと頷いたアリアは、臆することなくその列の間を歩いた。
「アリアンナお嬢様っ!」
すると、血相を変えて初老の執事服の男性が早歩きで出てくる。
アリアのボロボロのドレスを見て、痛々しい表情を見せた。
「お怪我は!? 魔獣に襲われたと聞いたときには、あやうく心の臓が止まりそうになりましたぞ」
「そんな歳でもないだろう。多少怪我はしたが治した。それに拾いものもした。私はいい。これを見られる姿に磨いてやれ」
これ、呼ばわりして俺は指を指される。
執事がはっとして俺を見ると、深々とお辞儀をしてきた。
「貴方様がアリアンナお嬢様の命を……。私はデサンティス家の執事を務めております、マウロと申します。私からも感謝の言葉を申し上げたい」
「あ、いや、俺はそんな……」
「タクミよ。貴様が私の命を救ったのは事実だ。そして、勢いとはいえ貴様は私の力を受け取った。己を卑下することは許さん」
アリアが言うと、マウロは驚愕の表情で彼女の顔を見る。
そして、自分を納得させるように深く頷くと、一礼した。
「アリアンナお嬢様のお力を授かったということは、我々にとっても貴方様は尽くすべき御仁でございます。まずは湯を用意いたしましょう」
「私は疲れた。夕餉まで休む。――パメラ、来い」
「は、はいっ!」
名を呼ばれた、まだ十歳くらいの栗色の髪の少女が慌てて飛び出してくる。
アリアはパメラを率いて、そのまま幅のある階段を上がっていった。
残された俺は、どうにも居心地が悪くて、マウロに縋るように話しかける。
「あ、あの……」
「なんでございましょう。タクミ様」
「お、俺に様なんてつけなくても……。じゃなくて、俺、なんかマズいことしちゃったんでしょうか?」
「いいえ、選ばれたのはアリアンナお嬢様のご意志。つまびらかなことは後ほどお嬢様からお話されるでしょう」
「は、はぁ……」
なにやらメイドたちの見る目、というか、雰囲気が怖い。
敵意ではないものの、何か緊張のようなものを感じる。
俺はその原因がわからないまま、促されてその場をあとにするのだった。
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