장 7: 第七話 兄弟の絆と嫉妬
朝食の席での空気は、いつものように微妙だった。品よく並べられた膳を囲んで、藤原家の男たちが無言で箸を動かしている。
「昨日の陰陽寮見学はどうだった？」
道長が息子たちに向かって尋ねた。蓮太郎が胸を張って答える。
「晴明様からもお褒めの言葉をいただきました。来月から上級妖怪討伐の任務に参加させていただけるそうです」
「それは素晴らしい」道長の表情が明るくなった。「蓮次郎はどうだ？」
「私も式神術の評価をいただきました。研究部門への配属を検討していただいているようです」
「うむ、二人とも順調だ」
道長は満足そうに頷いた後、蓮麻呂の方を見た。その視線には、明らかに温度差があった。
「蓮麻呂は...まあ、焦る必要はない。まだ若いのだから」
慰めるような言葉だったが、蓮麻呂にはその裏にある諦めの気持ちが痛いほど伝わってきた。
「はい、父上」
蓮麻呂は小さく答えた。しかし、昨夜の研究成果を思うと、この状況に複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
（もし本当の実力を見せたら、父上はどんな顔をするだろう）
「ところで、蓮麻呂」
蓮次郎が口を開いた。その表情は表面的には優しいが、瞳の奥に何かを隠しているようだった。
「最近、夜中に庭で物音がするという話を聞いたのですが、何かご存知ですか？」
蓮麻呂の箸が止まった。まさか実験を見られていたのだろうか？
「物音...ですか？」
「ええ。小菊が気にしていました。野良犬でも迷い込んだのでしょうか」
安堵と同時に警戒心が湧く。確かに昨夜の実験は派手だった。今後はもっと注意深く行う必要がある。
「私は何も聞いていませんが...…今度注意して見ておきます」
「そうしてください。警備の問題もありますから」
蓮次郎の笑顔に、蓮麻呂は微かな悪意を感じた。まるで何かを疑っているような、探るような視線。
朝食を終えて各自の部屋に戻る途中、蓮太郎が蓮麻呂を呼び止めた。
「蓮麻呂」
「はい、兄上」
「お前にも言っておくが...…」蓮太郎は周囲を見回してから声を潜めた。「最近、都の政治情勢が不安定だ。橘家が妙な動きを見せている」
橘家――五大家の一つで、藤原家とは微妙な関係にある一族。蓮麻呂は前世の知識と合わせて、この世界の政治構造を思い返した。
「どのような動きでしょうか？」
「詳しくは言えないが……」
蓮太郎は躊躇いがちに続けた。
「陰陽師の人事に口を出そうとしているようだ。我々藤原家も無関係ではいられない」
「それは……」
「お前は陰陽師としての実力が……その……だから、政治的な標的にはならないだろう。ある意味、安全な立場とも言える」
蓮太郎なりの配慮なのだろう。しかし、その言葉は蓮麻呂の胸に複雑な感情を呼び起こした。
（実力がないから安全……確かにそうかもしれない。でも、それは屈辱でもある）
「分かりました。気をつけます」
「うむ。何かあったら遠慮なく相談しろ」
蓮太郎は意外にも優しい表情を見せた。普段の高慢な態度とは違う、本当の兄としての顔。
（兄上も、本当は僕のことを心配してくれているのかもしれない）
しかし、その一方で蓮次郎の態度は気になった。朝食での探るような視線、夜中の物音への言及。まるで何かを疑っているような...
（気のせいだろうか？それとも、本当に何かを知っているのか？）
その日の午後、蓮麻呂は庭で読書をしていた。陰陽道の古典を読み返しながら、現代知識との照合を行う。すると、縁側に蓮次郎の姿が現れた。
「勉強熱心ですね」
「あ、蓮次郎兄上」
蓮麻呂は慌てて本を閉じた。しかし、蓮次郎の視線は鋭く、まるで本の内容を見透かそうとしているようだった。
「何を読んでおられるのですか？」
「陰陽道の基礎書です。まだまだ理解が足りないので」
「そうですか」蓮次郎は蓮麻呂の隣に座った。「実は、最近気になることがあるのです」
「気になること...ですか？」
「ええ。庭の様子が少し変わっているような気がして」
蓮麻呂の心臓が早鐘を打った。まさか実験の痕跡が残っていたのだろうか？
「と言いますと？」
「石灯籠の一つが妙に黒くなっているのです。まるで火で炙られたような」
完全に見抜かれていた。蓮麻呂は平静を装いながら答えた。
「それは...雷でも落ちたのでしょうか？」
「雷ですか」
蓮次郎の唇に微かな笑みが浮かんだ。
「確かに、それなら説明がつきますね」
その笑みに、蓮麻呂は背筋に冷たいものを感じた。明らかに信じていない。それどころか、何かを確信しているような表情だった。
「蓮麻呂」
「はい」
「もし何か秘密にしていることがあるなら……」
蓮次郎は振り向いた。その瞳に、今まで見たことのない冷たい光が宿っている。
「兄として、知っておきたいのです」
その瞬間、蓮麻呂は悟った。蓮次郎は既に全てを疑っている。そして、何らかの行動を起こす準備をしているのかもしれない。
（危険だ……このままでは）
「特に秘密などは……」
「そうですか」
蓮次郎は立ち上がった。
「それなら安心です。家族に秘密があるのは、悲しいことですから」
去り際の蓮次郎の背中を見送りながら、蓮麻呂は拳を握り締めた。兄弟の絆と嫉妬、愛情と疑念――家族関係の複雑さを、身をもって感じていた。
（もっと慎重にならなければ...）
しかし、時すでに遅し。蓮次郎の心の中では、弟への疑念が確信に変わりつつあった。そして、それは藤原家を揺るがす大きな陰謀の始まりでもあった。
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