その日の“戦い”が直接アイズリンに及んだわけではなかったが、余波には否応なく巻き込まれた。母は昔から口酸っぱく言っていた――肌寒い日に薄着をすれば風邪をひくと。アイズリンはその忠告を聞き流しこそすれ、真剣に受け止めたことはない。だが、ジェサミンの見事な黒い痣が薄れていくのと歩調を合わせるように、アイズリンの体調は右肩下がり。涙目は常態化し、咳とくしゃみが出て、鼻は絶えず透明な鼻水でぐずぐずになった。
ある晩、両親に電話をかける。ここ数日で声帯までやられた彼女は、かろうじて聞き取れるほどの声で「もしもし?」とかすれた音を絞り出した。
「え……?」父は面食らった様子だ。「アイズリンはいるかい?」
「わたしよ、お父さん」彼女はしゃがれ声で言う。「変な声でごめん、風邪をひいたみたい」
「それは気の毒に」父は同情を滲ませた。「なら長くは引き留めないよ。ちょうど母さんと、近況確認をしようと思ってたところなんだ。そっちはどうだい?」
「病人」
「なるほど。こっちはいつも通りだよ」父は淡々と続ける。「セラフがさらった麗しの乙女から身代金をせしめてくれてね、母さんは新しい車を買ったよ。ひと月ほど前には、セラフが怪物を放っちゃって、怯えた近所の人たちが家に火をつけるって脅してきた。だから、彼女には自分の住処を持たせたほうがいいだろうって総意になったんだ。もっとも、まだ物件探しの途中で、当分は家にいるだろうけどね」
「そっちも色々あるのね」アイズリンは掠れた声で答える。
「いや、こんなもんさ」父は肩の力の抜けた口調で言う。「だいたいそれで全部。あとは驚くほど平穏だ。みんな君を恋しがっているよ。――おっと、母さんに代わる」
受話器の衣擦れののち、母の声が乗った。
「もしもし? アイズリン?」
「ママ、やあ」アイズリンが言う。「元気?」
「ええ、大丈夫よ。あなたは? 風邪だって聞いたけど」
「ちょっとだけよ」アイズリンは軽く見せた。「声がひどいだけで、大したことはないの。舞踏会に備えて、今日は早めに寝て体力温存しようと思って」
「何ですって?」
「舞踏会よ」アイズリンは言い直す。「王子とプリンセスが出会って恋に落ちるっていう、あれ。学期末まで毎月あるらしくて、全部で六回くらい。今は第一回が近いから、みんな準備に必死。信じられないくらい豪華なドレスがどこの店のショーウィンドウにも飾ってあって、散財っぷりもすごいの」
「お金、要る?」母は反射的に言った。「セラフの悪だくみが最近妙に上手くいってるから、今ならすぐ送金できるわ。三百? 二百?」
「いらない」と、アイズリンは口にして自分で驚いた。「もちろん、本当に送りたいなら拒みはしないけど――同室の子と話がついてるの。彼女のドレスを借りる代わりに、私の靴を使ってもらうって」
「そう……? 本当に大丈夫なのね?」母の声に半信半疑の色が混じる。「なら、体調も悪いことだし切るわ。二、三週間したらまたかける。愛してるわよ。早く良くなって。じゃあね」
数秒後、通話は切れた。
両親にはすぐ良くなると言ったものの、アイズリンの症状は下り坂をたどるばかり。大学の校医にかかったが、彼にできることは何もないという。「安静にして、水分をたくさん」――例の役に立たない常套句だけが処方された。彼女なりに従ってみたものの、第一回舞踏会の当日には、立ち上がるだけで眩暈がするほど弱り切っていた。
足元にはアイズリンの古い金の靴、身にはジェサミンの新しい金のドレス。ジェサミンは髪を巧みに巻き、金のティアラを戴いて、今夜出会うどの王子とも結ばれる準備は万端――そう言わんばかりだ。
「本当に、置いていって平気?」ジェサミンはイブニングバッグに現金、口紅、緊急用のネイル接着剤やら化粧小物を丁寧に詰めながら問う。「あなたが一人で寝込んでるあいだに、私だけ楽しくしてるなんて、心苦しい」
「気にしないで」アイズリンはしわがれ声で言った。「馬鹿みたいな風邪のせいで二人とも舞踏会を棒に振るのは、もっと無意味。ここにいてくれても、私が気分よくなるわけじゃない。思い切り楽しんできて。誰が何を着てたか、全部あとで報告してね」
「忘れない」ジェサミンは力強く頷く。「あなたはしっかり休むの。――でも、本当に一緒にいる必要はない? 小さなパーティをここでやってもいいのよ。映画を借りてきて、二人でのんびり」
「あなたがどれだけこの舞踏会を楽しみにしてたか、私が一番知ってる」アイズリンは語気を強めた。「私は次に行く。……知ってるでしょ、私って着飾るのも踊るのも苦手。行ったところで、どうせ辛いだけ。あなたは行くべき」
――これは、半分本音で半分嘘。自分でも意外だったが、アイズリンは毎日の着飾りを密かに楽しむようになっていたし、ジェサミンほど表に出さないだけで、舞踏会だってそれなりに心待ちにしていた。ただ、今回は次まで待とう――そう折り合いをつけたのだ。
「……分かったわ」ジェサミンは少し迷ってから答えた。「戻ったら全部話す。いい?」
「お願い」アイズリンが言う。ジェサミンは一礼し、扉の向こうへ消えた。
短い会話だけでぐったりしたアイズリンは、ふかふかの枕に頭を預け、瞼を閉じる。白昼夢と現実の境目が溶け合う半睡の領域に滑り込みかけた、その時――電話が鳴った。
「ジェス……出てくれる?」半分眠ったまま、咳き込みながら呟く。
続く甲高い二度目のベルで、アイズリンははっと覚醒した。――ジェサミンは舞踏会だった。こんな時に誰が? 考えられるのは両親か、あるいは勧誘電話くらい。
彼女は重い受話器を耳に運び、再びかすれた声で言う。
「もしもし……どなた?」
「エルサンドリエル=アナイス姫でいらっしゃいますか」
震えを含んだ女声が尋ねる。
身元の確認が済むと、女は続けた。
「わたくしはジョランドラ。あなたの担当フェアリー・ゴッドマザーにして、入学カウンセラーです。出席記録によれば、同室のアスペリアンナはすでに舞踏会に参加済み。キャンパスで出席していないのはあなた一人のようです。お困りですか?」
「大丈夫。行きませんから」アイズリンは言う。
わずかな沈黙。やがてジョランドラは、残念そうに口を開いた。
「それは気がかりですね。何かお手伝いできることは? 新しいドレスをお部屋にお届けする? 宿題や家事を魔法で手助けする者を派遣する? それとも、ネズミの御者と魔法のカボチャで仕立てた馬車などはいかが?」
「馬車って……そもそも二ブロックもない距離よ」アイズリンは思わず叫び、すぐ冷静さを取り戻して説明した。「ほんとに大丈夫。今夜は体調が悪いだけ。ポーションで治る類じゃないの。今夜は眠って、次の舞踏会には行くわ」
「病気!」ジョランドラは新情報を得たかのように声を上げる。「なら、その場で待機していて。今すぐ咳止めのポーションをお届けします」
アイズリンは、幼い頃に母が持ち帰った咳止めポーションの奇怪な副作用を、身をもって知っている。三フィート(約九十センチ)宙に浮いたまま降りられなくなった日。朝目覚めると顔中に紫の血豆のような斑点が出ていた日。トロル語でしか話せなくなった日。――そして、透明と実体を制御不能で往復したせいで、登校拒否を疑われ大目玉を食らったあの日。
「い、いえ、咳止めは結構」彼女は食い気味に遮った。「もう良くなってきたみたい」
直後、深く激しい咳が込み上げて、嘘は木っ端微塵。
「えっと……つまり、お医者さんにも診てもらって、しっかり休むのが一番で、ポーションはかえって良くないってはっきり言われたの」
「本当に?」ジョランドラの声には懐疑が混じる。「どんなに具合が悪くても、自ら舞踏会を欠席するお嬢さんなんて存じ上げない。何か他に理由が? わたくしはあなたのゴッドマザー。何でも打ち明けて」
「大丈夫だってば」ついにアイズリンの堪忍袋が切れかける。「仕事に戻って。私は休みたいの。次の舞踏会には行くって誓うから」
「……分かりました」ジョランドラはなおも疑念を捨てきれない声で言う。「ただし念のため申し上げます。今後も出欠を確認します。次に来られないようなら、わたくし自身が伺って、あなたが直面している本当の問題を一緒に話し合いましょう。それでよろしい?」
「じゃあね」アイズリンは短く唸り、受話器をガチャンと置いた。
数分のあいだ、彼女はジョランドラからすぐ折り返しが来ると身構えていたが、電話は鳴らない。十分後――病めるプリンセスは深い眠りに落ちていた。