詩織は個室を出た。
玲奈は表情を変え、すぐに無邪気な顔で涙を流した。
詩織が振り向いたとき、玲奈が委屈そうに彰人の胸に飛び込み、すすり泣いている姿が目の端に映った。
皆が玲奈の周りに集まっていた。彼女はまるで星に囲まれた小さなお姫様のようだった。
詩織には錯覚があった。自分こそが人々に唾棄され嫌われる愛人であり、彰人の胸に甘えているあの女の子こそが、虐げられて自尊心をズタズタにされた正妻なのだと。
——
車がマンション入口に着き、詩織は看板を見た——
詩織ヶ丘ガーデン。
昔、大学院に通っていた頃、彰人が設計図を彼女の前に置き、宝物を見せるように言った。「詩織、このマンション、君の名前を付けたんだ。1棟目は特別に君のためにデザインしたもので、将来の新居にしようと思ってる、どう?」
あの頃の彼は、毛穴から漏れる微かな息にさえも、彼女への愛があった。
どうして玲奈を好きになったのだろう?
詩織はハンドルに伏して泣いた。
誰かが窓を叩き、顔を上げると、急いで視界を曇らせる涙を拭き、車を走らせた。
家に帰り、ワインを開けた。デキャンタに移し替えることもせず、ボトルから直接飲み干した。酒に弱い彼女はすぐに酔った。
ソファに倒れ込み、眠りについた。
彼女は長い夢を見た。夢の中で彰人は彼女を追いかけ、眩しく笑っていた。
「詩織、詩織」
「詩織、俺、名前変えようかな?柏木 詠人にしようか?君とより相応しいから」
「詩織って名前、本当に綺麗だね。君自身のように、本当に美しい」
「誰も君を愛さなくても大丈夫。これからは俺が愛するから。今世も来世も、ずっと君を愛するよ」
詩織はすすり泣きながら、体を反転させた。
——
翌日。
詩織は学校に戻り授業を行った。彼女は大学の教員だった。
教学棟の下に着くと、向かいから歩いてくる玲奈とばったり会った。
玲奈は単刀直入に言った。「わからないの?私が現れると、彰人さんはいつだって私を選ぶのよ。あなたは離婚すべきよ」
詩織は笑った。「もう少し待ったら?金持ちの男に付くなら、大事なのは我慢強さよ」
詩織の冷ややかな態度は、仮面の下にある嫉妬が誰にも見えないと思い込んでいた。
厚いファンデーションを塗れば誰も彼女のクマに気付かないと思っていたが、疲れた様子はどうしても隠せず、見る人が見れば一目瞭然だった。
玲奈は腕を胸の前で組み、純粋で従順な姿に挑発的な色を帯びさせた。「待てないわ。先月、彰人さんがバンクーバーまで私を訪ねてきたの。今回帰国したのは、彼の誕生日のためだけじゃなく、他にも理由があるの——」
玲奈はわざと長く音を引き延ばした。勝利者のファンファーレのように。
詩織は喉に唾を詰まらせ、飲み込めなかった。玲奈からの拷問を待っていた。
結局、彼女はこれまで何度も玲奈に傷つけられてきたのだから。
玲奈が勝利宣言をする時の雰囲気を、彼女は嗅ぎ分けることができた。
「他にも理由があるの。私、妊娠したから」
詩織は無表情のまま、やがて嘲笑と苦さを込めて大笑いした。「玲奈、あなたは完全に忘れてるわね。あの時どうやって膝をついて私に学費を出させてくれと頼んだか!」
「あなたは覚えすぎているから、私をあなたの恥と思い、人生から切り離したいだけなのよ!」
玲奈は言葉に詰まった。「私、私そんなつもりじゃ…!」
詩織は冷笑した。「農夫と蛇ね。まさに私とあなたのこと。あなたは私が彰人を愛していることを利用して、容赦なく傷つけてくる!」
キャンパス内の教師や学生たちがゆっくりとこちらに集まり始めた。
「小野先生!何か手伝いましょうか?」
学生の何人かは携帯を取り出し、動画を撮り始めた!
玲奈は少し慌て、首を突っ張らせた。「濡れ衣を着せないで!」
詩織は一歩ずつ玲奈に近づき、彼女の襟をつかんで怒鳴った。「あなたは思ってるのよね、私が彼を愛してるから、彼のそばを離れられないって!彼を恐れるって!彼があなたを大事にするから、何度も何度も我慢するって!自尊心を両手で捧げて!!あなたたちに何度も踏みにじられるのを許すって?!」
詩織は玲奈の頬を平手打ちし、彼女の白い顔に唾を吐いた。
「クソくらえ、恋愛なんて!彰人、この女、あんたにやるわ!」