第02話:見捨てられた命
下腹部に激痛が走った。
雫は階段の下で身を丸め、必死に痛みに耐えていた。お腹の奥で何かが引き裂かれるような感覚が続いている。
「彰……」
立ち去ろうとする夫の背中に向かって、震え声で呼びかけた。
「助けて……お腹が……」
彰は振り返ると、冷たい目で雫を見下ろした。
「まだそんな茶番を続けるのか」
「茶番じゃない……本当に痛いの……」
雫は床に手をついて立ち上がろうとしたが、激痛で動けない。
彰は美夜を抱きかかえたまま、吐き捨てるように言った。
「君って、本当に、最低だな」
その言葉と共に、彰は美夜を連れて去っていく。
雫の心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
一人残された雫は、自分の足元を見て愕然とした。鮮やかな赤い血が、じわじわと床に広がっている。
「嘘……」
血の海が雫の周りに広がっていく。
「たすけて……お願い……私の赤ちゃんを……!」
雫の叫び声が空虚な会場に響いた。
通りがかった人が駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!今すぐ救急車を!」
救急車の中で、雫は医師に必死に懇願していた。
「お願いします……赤ちゃんを助けて……まだ三ヶ月なんです……」
「落ち着いてください。最善を尽くします」
救急隊員が彰の携帯に電話をかけた。しかし、応答したのは美夜の声だった。
「はい、神凪です」
「奥様が救急搬送されました。すぐに病院へ」
電話の向こうで、美夜の笑い声が聞こえた。
「あら、雫さんがまた何かやらかしたんですか?」
雫の血の気が引いた。
「今日、あなたのお腹の赤ちゃんと、私、どちらが彰さんにとって大切か、はっきりさせましょう」
美夜が彰に向かって言った。
「彰さん、雫さんからお電話です」
彰の声が電話越しに聞こえてくる。
「無視しろ。どうせまた嘘だ。今はお前の手のほうが大事だ。すぐ医者が来る。心配するな」
その言葉は、鋭く雫の胸を突き刺した。
電話は一方的に切られ、その後彰の携帯は電源が切られた。
消毒薬の匂いが鼻を突く。
雫は病院のベッドで目を覚ました。お腹に手を当てると、そこにはもう小さな命の鼓動は感じられなかった。
「申し訳ございません……」
医師の言葉が、雫の心に最後の一撃を与えた。
神凪家が唯一喜んでくれた妊娠だった。そしてその命を、父親であるはずの彰自身が奪ったのだ。
涙が頬を伝って落ちる。
雫は天井を見つめながら、一つの決意を固めていた。