大雨が降り、午後の灼熱を打ち消した。
紫安病院のVIP休憩室に、一人の大物が突如現れた。
渡辺院長が直々に出向いて迎えた。
入り口で、渡辺院長は一人の医師を呼び寄せ、中の状況を尋ねた。
医師は震える声で言った。
「小、小林健斗(コバヤシ・ケント)さんです……」
院長はそれを聞くや、たちまち脂汗をにじませ、眉をひそめて聞き返した。
「あの御方がなぜご来院に?」
院長が恐れおののくのも無理はない。小林健斗の名は知らぬ者がない。
小林グループは国内でも指折りの地位を占め、さらにこの御曹司は複雑な出自と人脈を持つ。彼が眉をひそめるだけで、周りの者たちは皆不幸になってしまう。
医師は急いで理由を説明した。
「産婦人科で深刻なミスがあったそうです。小林さんの…と、人工授精を予定されていた女性のものが混同されてしまったのです。それが今、小林さんの耳に入りまして…」
渡辺院長は今度は膝までがガクガクと震えた。
彼は覚悟を決めてVIP休憩室のドアを開け、喜怒が読み取れない小林健斗の顔と向き合った。
小林健斗の顔立ちは、苛刻なまでに完璧で、一点の欠陥も見つけられない。鋭く、そして目を見張るほど美しかった。
この人物を「目を見張るほど」と表現する所以は、彼の右目の眼角にある痣にある。
痣は薄く、わずかに赤みを帯び、まるで鳳凰の尾が目尻をなぞったかのようで、彼の容姿を少しも損なうことなく、むしろ魅力を増していた。
彼はソファチェアに一人座り、長い脚を組んでいた。高価な椅子も彼の前ではまるで申し訳なさそうに見えた。
その気迫は天然自然と備わっていた。
渡辺院長はへりくだった笑顔を作った。
「お見えになると知っていれば、私ども外までお迎えに上がる所でございました。小林さん、本当に失礼いたしました。」
小林健斗は彼と無駄話をする気はなかった。
「10分以内に、その女の情報を持ってこい。」
……
葉山楓は胃の中のものをすべて吐き出し、魂が抜けたように救急エリアから出てきたが、突然の大雨に足止めされた。
鞄の中には傘があるのに、彼女はそれをさそうとはしなかった。
まるで生ける屍のように玄関まで来ると、後ろから出てきた男性に肩をぶつけられた。
男性は彼女の肘をぐっと掴み、少し身をかがめて尋ねた。
「大丈夫ですか?」
葉山楓は顔を上げて男性と目が合い、その息をのむほど美しく、そして冷酷な顔が彼女の瞳に映った。
葉山楓は男性の手から肘を引き抜いた。
「大丈夫です。」
男性も余計な言葉は交わさず、くるりと背を向けて去った。
同時に黒い傘が彼の頭上に差し掛けられ、彼は黒の高級車まで護送され、ドアを開けて乗り込んだ。
……
車内。
山口拓也(ヤマグチ・タクヤ)は電話を終えると、小林健斗の方を向いて言った。
「小林社長、事情が判明しました。」
小林健斗は目を閉じたまま、微動だにしなかった。
「言え。」
「あなた様の婚約者、宮本さんの母親の仕業です。宮本さんは事故以来、植物状態になっていますが、宮本母は娘が将来小林家に嫁げなくなることを心配して、あなたが帰国した夜、あなたの食事に細工をし、ホテルの清掃員に……サンプルを病院に持っていかせ、人工授精によって宮本さんにあなたの子供を妊娠させようとしたようです。」
小林健斗はそれを聞いて目を開けた。
山口拓也は続けた。
「医師に確認したところ、宮本さんは自分で動くことはできませんが、体の状態としては人工授精で問題なく妊娠できるそうです。満期になれば帝王切開で無事に出産できるとのことです……ただ、サンプルが病院側で取り違えられてしまい、今回の事態になったわけです。」
山口拓也の説明を聞き終えると、小林健斗は鼻から「ふん」と息を吐き、「結構なことだ」と言った。
山口拓也はこの「結構なことだ」の意味をよく知っていた。宮本家に災難が降りかかるということだ。
小林健斗は手に持ったままの資料を見下ろし、そこに記された名を、低声で繰り返した。
「葉山楓……」