「あの子は私の子じゃない」
岡本詩織は少し驚いたが、すぐに我に返った。
「じゃあ誓って。美雪が流産した子供とお前は関係ないと。もし関係があるなら、お前の家族全員が雷に打たれるって」
「詩織!」
今度こそ、彰人は本当に不機嫌になった。
「最後にもう一度言う。俺は俺たちの結婚を裏切っていない」
詩織は唇の端に皮肉な笑みを浮かべた。
「じゃあ、これからも責任という名のもとに、あの女を可愛がって守り続けるのね。たとえ彼女が夫の温もりを必要としても、あなたは文句も言わずに与え続ける。そしてそれが全て純粋な気持ちからだと信じろっていうの?」
「福田彰人、あなた私をバカにしてるの?」
彰人の指先が急に冷たくなった。「どうして僕たちの間に信頼がまったくなくなってしまったんだ?」
詩織は頭を傾げて、真剣にその質問について考えた。
彼女はいつから彼を信頼しなくなったのだろう?
「ケーキ屋の爆発事件、あなたは警察の調査結果を認めているの?」と彼女は尋ねた。
「君が疑問に思うなら、行政再審査を申請することもできる」
彼は顔色一つ変えず、呼吸のリズムさえも変わらなかった。
彰人は物事を深く隠し過ぎていた。詩織はそのときからだと感じた。
彼女は声を落とした。「あなたの理想の妻にはなれない。私たちは合わないわ」
しかし彰人は鼻で笑い、彼女の左手を捕まえ、二本の指で薬指を掴んだ。
「離婚という件については、決定権は君にはない。詩織、君が俺と結婚した日から、私たちは結ばれたんだ。四年経った。『福田奥さん』という言葉の重みを、もう理解しているものだと思っていた」
詩織は指が冷たくなるのを感じ、失くした結婚指輪が戻ってきたことに気づいた。
違う、あの指輪は海底に沈んだはず。たとえ彼が沈んだ車の位置を見つけたとしても、必ずしも引き上げられるとは限らない。
そして彼が美雪のもとへ飛んで行った日、自分に何が起きたのかを知っていながら、それでもこんな態度をとるなら、彼女はただ一つの血塗られた事実を信じるしかない:
彼女の結婚は詐欺だったのだ。彼女は彰人が見つけた恥を隠す布と盾に過ぎなかった。
そう思うと、詩織は苦い気持ちを抑えながら、指輪を外し、床に強く投げつけた。
「責任なんて建前にしないで。ないものはないのよ。この偽物が何を表すっていうの?」
「詩織!」
彰人は怒って立ち上がった。
彼女のあの失くした指輪は、彼がわざわざ二人の結婚指輪を作った職人を探し出し、元の設計図を見つけて、多額の金を払って急いで作らせたものだった。それを彼女はまったく大切にしていない。
詩織は心の準備ができておらず、彼の膝から落ちた。
とても痛かったが、彼女は笑った。
「あなたの感動的な演技に協力しないと、こうやって本性を現すの?」
……
彰人は書斎に行った。
詩織もまた気持ちが収まらなかった。
斎藤さんが夕食を温めて食べるように言ったが、彼女はテーブルの前に座っても食欲がなかった。
「斎藤さん、普通の結婚生活ってどんな感じですか?」詩織は寂しげに尋ねた。
斎藤さんは気まずそうに口を開け、しばらくしてから答えた。「わかりません。私の夫は結婚の翌日に亡くなりましたから」
「ごめんなさい、わざと聞いたわけじゃ…」
詩織はすぐに謝った。
斎藤さんの気分はまずまずだった。
「大丈夫ですよ、奥様。彼のことは忘れられなくても、もう立ち直りました。普通の結婚生活を経験したことはありませんが、幼なじみだった夫との関係で、愛し合う二人がどんな感じかは知っています」
「どんな感じですか?」詩織は興味を示した。
斎藤さんは微笑んだ。「正に奥様と社長のようです。よく言い争いますが、彼はいつもあなたに譲り、あなたも彼のために折れる」
詩織は彼女が自分を諭していることを感じ取り、黙って目を伏せた。
斎藤さんは続けた。「奥様、もし邪魔が多すぎると感じるなら、社長と旅行に行ってはどうですか。二人の関係を壊す人のいない場所で、絆を強めるのです」
彼女はしばし考えた。
「そうだ、南半球はちょうど今、雪景色が美しい時期です。社長と一緒に…」
「私は雪が嫌い。私たちはもうそこまでいけないわ」
詩織はテーブルの上の夕食に手をつけず、立ち上がって寝室に戻った。
そのとき、携帯にショートメールが届いた。
日中、彰人の海外資産調査を依頼した弁護士からだった。
体調不良のため、しばらく休養が必要で、彼女の依頼は受けられないとのこと。契約に従って補償すると述べた後、謝罪の言葉が続いていた。
詩織には分かっていた。これは彰人の仕業だ。
彼が一言言えば、日野市では誰も彼女の依頼を引き受けないだろう。
詩織は椅子に腰を下ろした。空気が重い鉛のブロックとなって彼女の肩にのしかかり、呼吸さえ困難になった。
窓辺でしばらく一人で座った後、彼女はパジャマを持ってお風呂に向かった。
しかし、バスルームのドアに着いたとき、下腹部が突然痛んだ。
生理周期でも痛みを感じない彼女が、退院してからこれまで、何度も原因不明の下腹部の痛みを感じていた。
詩織は眉をひそめ、しゃがもうとしたとき、彰人が後ろから彼女を支えた。
「どうした?」
彼の声は以前のように優しかった。
「お腹がけいれんしてる」
詩織は手を引き抜き、自分で立ち直った。
彰人は、今回オールボーから帰ってきてから、彼女が自分の接触を非常に嫌がることに気づいた。
「何しに来たの?」と彼女は聞いた。
「書斎では入浴できないから…」彰人は言葉を切り、「先に入るか、一緒に入るか?」
彼は自分が離婚財産調査を始めたことを冗談だと思っているのか?
「先に入って。お腹が痛いから、少し休むわ」
彰人は無理強いせず、彼女の下腹部にちらりと視線を落としたが、何も聞かずにバスルームのドアを閉めた。
2分もしないうちに、外に置いてあった彼の携帯電話が鳴った。
専用の着信音だった。
詩織は彼と美雪の間の不道徳な関係に関わりたくなかったので、無視した。
しかし電話は2回鳴り、急ぎの用事のようだった。
彼女は少し迷った後、3回目の着信で応答した。
「お兄さん、病室に何人か来て、彼らは…」
「私はあなたの兄じゃない」
詩織は彼女の言葉を遮った。
相手は驚いて言葉を失った。
詩織は続けた。「彼は入浴中よ。出てきたら、折り返し電話するように伝えておく」
「わ…わかりました、ありがとう」
相手はやや気まずそうに電話を切った。
詩織は時計を見た。もう夜中の12時を過ぎている。わざと自分を刺激するために計算して電話してきたのだろうか。
しばらくして、彰人は入浴を終えて出てきた。
バスローブを持って入ったのに、出てきたときはバスタオル一枚だけだった。
詩織は彼を見ないようにした。「あなたの妹から電話があったわ、折り返して」
彰人は一瞬足を止め、バスローブを着て、携帯を持って部屋を出て行った。
詩織の顔に薄い皮肉な笑みが浮かんだ。
15分ほど経って、彰人が電話を終えて部屋に戻ってきた。全身から冷たい空気を発していた。
「彼女の存在はあなたに影響しないはずなのに、なぜ病院から追い出そうとするんだ?」
「何のこと?」詩織は理解できなかった。
「彼女は自殺して何度も救命措置を受け、まだ体が回復していない。なのに君は別荘の居住権を取り上げるだけでなく、病院からも追い出そうとしている。彼女の命が欲しいのか?」