高橋浩はまるでつれないかのように冷酷だった。
彼は水紀を宮殿から追い出してしまった。
今回、渡辺水紀はついに悟った――
彼はただ一人で宴を楽しみたいのだ、と。
美味しい果実酒さえ、もう一口多く飲ませてはくれなかった……
まさか王として、ここまでケチだとは思わなかった。
最近の彼女は、ほぼ毎日のように彼の宮殿に通っていたというのに。
翌日。
水紀の胸の内はざわめき、落ち着かない……
本当に、今日は彼に会いたくなかった。
「姫様、王様にお会いするお時間です」
侍女の久美が、またいつもの決まり文句を口にした。
ぱちりと大きな目を瞬かせながら。
「久美、あなたは本当に美しいわ」
水紀は原作に記されていたことを思い出した。久美の本来の姿は、錦鯉だったのだ。
しかし久美は、恥ずかしそうに困った笑みを浮かべた。
「私の肌は斑模様ばかりで、どこが美しいのですか?」
だが水紀の言葉は、心からのものだった。
錦鯉特有の花模様こそ、最も美しいのだから。
けれども――
「話を逸らしても無駄ですよ」
久美は相変わらず真面目に促した。
「姫様、本当に王様にお会いになるべきです」
水紀は、ちょっとした反抗心から。
その手に泥を塗りつけた。
それだけでは飽き足らず……
両頬にまで、ためらいなくべったりと泥を塗ってしまった。
そして胸を張って言い放った。
「会えばいいじゃない。どうせ彼は私なんて好きじゃないんだから」
果実酒さえ、惜しむくらいなのだから。
彼女のこんなおふざけを目にしても、久美は慌てなかった。
布を持ってきて、泥だらけの顔を拭こうとしたが……
水紀は頑なにそれを避けた。
そこで
久美は真剣な眼差しで、優しく言った。
「王様は本当に、姫様を大事にしていらっしゃいますよ」
「えっ……どこからそう思ったの?」
「王様はいつも寡黙なのに、最近、急にお話が増えたではありませんか」
その瞬間。
扉が勢いよく開かれた。
氷山のような気配が、すぐそこに迫ってきた。
紫瞳の男が目の前に現れ――
周囲の空気を、瞬時に凍りつかせた。
水紀は驚きのあまり、意識を失いかけた。
慌てて口の形だけで伝える――「久美、もうやめて!」
だが、
久美はあくまで正直で真っ直ぐだった。
自分の思ったままを口にした。
「王様は二姫様をちやほやしておられますが……それ以上に、水紀様をお可愛がりなのだと思いますよ」
その言葉が放たれた瞬間――
水紀はぞくりと背筋を縮めた。
原作のヒロインと比べるような真似、死にに行くようなものだ。
もう自分は終わった、と覚悟しかけた時。
「今日は、なぜ僕の宮殿に来なかった?」
……思いがけない問いに、水紀は呆然としたまま答えを忘れてしまった。
久美も目を見開き、
幻聴ではないかと疑った。
孤高の王が、自らを「僕」と称した――
それだけでも衝撃だった。
だがさらに、彼の口から続いた言葉は――
「その泥はどこで手に入れた?……僕の池に行ってみないか」
浩の冷たい紫瞳に、一瞬だけ興味の光が走った。
「ちょうど、僕もそちらに行くところだ」
嫌悪を装う声音なのに、本気で彼女を嫌っているわけではなさそうだった。
そしてためらいもなく彼女を抱え上げ――まるで物でも持つように。
水紀をそのまま連れ出した。
「んんっ……うぅ……」
……そんなふうに持ち上げられるのは、本当につらい。
今の水紀はぐったりとうなだれ、頭が地面にぶつかりそうなほど。
苦しくて仕方がなかった。
知っていれば――こんな泥なんて、絶対塗らなかったのに。
これから起こることを考えると……
水紀の心はざわめき、不安に飲み込まれた。
なにより、この魔王と一緒に行動するなんて……
想像するだけで恐ろしい。
その魔王――高橋浩が、突然に口を開いた。