一方、ずっと傍らで見守っていたボブも、思わず深く考え込んだ。そうだ、彼はまったく考えていなかった。クリオがそもそも詛呪系魔法を好まないかもしれないという可能性を。それどころか、詛呪系魔法を学ぶことすら拒むかもしれない。
ボブは自身の行動を反省し始め、そして考えた。自分の未来はいったいどうなるのか?もしクリオが嫌がったら、彼はこの半世紀かけてようやく見つけた逸材を諦めるという選択をするのだろうか?
その間、アイヴリルはぽかんとアンドレを見つめていた。美食…?
アイヴリルは思わず空想の世界へと飛んでいった。
彼女は前世の母親を思い出した。家族がまだ裕福ではなかった頃、母は毎朝、高校生の自分のために台所に立ち、朝食を作ってくれたものだった。
母の手はいつも驚くほど器用で、様々な趣向を凝らした料理を作ってくれた。
たとえ彼女におかゆを炊いてくれる時でさえ、格別の味に仕上がっていた。
まるで彼らの生活のようだった。質素ではあったが、母は自分の手で、生活が多彩になったのだ。
今も覚えている。家族のみんな、一緒に、質素な食事を楽しんだ。あの頃、自分はなんて幸せだったのだろう。
アイヴリルの涙がぽろぽろとこぼれた。幸せな時間はあっという間に過ぎ去るものだ。あの頃は裕福ではなかったけれど、裕福さが必ずしも幸せをもたらすわけではなかった。後に、父は結局母を裏切ったのだから。
アイヴリルの顔にはぼんやりとした表情が浮かび、目は虚ろに前方を見つめながら、涙がとめどなく流れ落ちた。彼女を支えていたクリオは恐怖に駆られた。
「お姉ちゃん…お姉ちゃん!」クリオはおびえたように彼女の体を揺すったが、アンドレに制止された。
アンドレは医術には疎かったが、エイヴリルのこの様子を見れば、多くの過去を背負っている小娘だと分かった。彼女はまだ子供だというのに、これほどの経験を…。アンドリューでさえ胸が痛んだ。
一体何が彼女をそこまで必死にさせ、鶴山をも登り切らせたのだろうか。
アンドレははっきりと知っていた。実際、鶴山自体はそれほど大したものではない。真に難しいのは自身の怠惰を克服する意志だ。この小娘はいったい何歳なのだ? 彼女はあれほどの強靭な精神力をすでに持っているのか? アンドレはますます興奮した。精神力は料理の道においても乗り越えるべき壁なのだ!
「彼女は思い切り泣く必要があるんだ」アンドレーはクリオを押しとどめた。その場にいる全員がエイヴリルに注目していた。彼女の虚ろさ、とまどい、不安を、皆が感じ取っていた。
この少女が背負っているものはあまりにも重すぎた。それらが彼女を窒息させそうになっていた。
アイヴリルは激しく咳き込み始め、涙はまだ止まらなかった。
クリオはもう我慢できなくなった。アンドレの手を振りほどき、とても慎重にアイヴィルを支えた。
「お姉ちゃん…お姉ちゃん…」
相手はハッと我に返った。現在のクリオは見捨てられた子犬のような表情で、まるで母の胸に飛び込めずにいる、ひどく傷ついた子供のようだった。
アイヴリルは思わず微笑んだ。彼女はクリオの心配を感じ取った。そうだ、全ては過去のことだ。人は前を向いて進まねばならない。なぜ彼女はまだあんな昔のことをくよくよ考えているのだろう?
そして、彼女はアクリオの髪をそっと撫でた。少しごわごわしていた。どうやらクリオもまだ栄養失調気味なのだろう。
クリオもまた、エイヴリルの胸に飛び込んだ。「泣かないで…」
泣き声で、でもどこか意地っ張りな口調だった。今となっては甘えているように聞こえた。
「うん。泣かないよ」アイヴリルは明るく笑った。自分をこれほど愛してくれる弟がいるのに、どうして泣けようか?
アンドレとボブは互いを見つめ合った。彼ら二人、半生も生きてきた者でさえ、この姉弟の絆に心を打たれずにはいられなかった。なんて純粋な感情なのだろう!
「ゴホッ」ボブはやはり、このような場面が苦手だった。自分の弟子があんなにみっともない姿を見せるのは、またしても胸の奥がむずむずした。
その時、アイヴリルもボブの方へくるりと振り向いた。突然、彼女がやり残していたことを思い出したのだ。そして、きらめくような微笑みが唇に浮かんだ。
アンドレはそれを見てクスッと笑いをこらえた。たった、さっきの様子を見ただけで、この小娘が賢くてお茶目な女の子だってわかる。
アンドレは今や見物するつもりだった。実際、たとえアイヴリルが彼の目をつけた弟子でなかったとしても、彼は手を貸さなかっただろう。自分の弟子は自分で勝ち取るものだ。アンドレは骨折り損のくたびれ儲けはごめんだった。
クリオもボブの咳払いで思考を遮られた。涙を拭う暇もなく、無邪気な表情でボブを見つめたが、心の中ではアンドレと同様にこっそり笑っていた。
ボブは思わずため息をついた。この間抜けな弟子め、一体何のために自分がこんなに気まずい思いをしているのか、まだ分かっていないのか?
アイヴリル今やボブを見ることすらせず、さっさと先ほどのアンドレの問いに答えた。「正直、何と言っていいのか分からないんです。美食に対しては、たくさんの思いがあります。喜びも悲しみも…。それが『好き』と言えるのかどうか、私には分からないんです」
彼女が前世の母が台所で朝食を作ってくれた光景を思い浮かべると、鼻の奥がツンとなった。
美食に対して、彼女はあまりにも多くの感情を抱いていた。単に食べることだけではない。彼女にとって美食は、特に、家族と一緒に美食を楽しむことは、幸せの象徴だった。
「明日、わしは…」アンドレは何かを思い出したように、ニヤリとボブを横目で見た。そして突然、得意げに言い足した。「明日、君のところへ行く。その時、ちゃんと見てやる」
「はい」アイヴリルの心には、まだ渇望のようなものがあった。料理を学びたいという渇望だ。なぜなら彼女は突然思い出したのだ。自分にはまだあの食堂がある。いつかきっと役に立てるはずだと。
彼女はこの食堂に強い自信を持っていた。ゼロからの再出発になるだろうが、結局のところ、今彼女が持っているのは土地と看板だけだ。客など誰も来ないのだから。
ならば、一から創業することもまた、一つの挑戦だ。経理のことは、前世で学んだ経営学が役に立つだろう。
そして、もし彼女が料理の腕を身につけられたら、 それはもう一つの重大な問題が解決したことを意味する。
アイヴリルは思わず感嘆した。これは本当に運命だったのだ! もし彼女が鶴山に来られなかったら、失うものはただ可愛くて賢い弟だけではなかった。這い上がるチャンスをも失っていたのだ。
アイヴリルは決して復讐を忘れてはいなかった。しかし、それはゆっくり進めればいい。まず、彼女は必ず家族を養う。今、爪を隠して力を蓄え、実力を身につける。時機を見て敵を全て打ちのめす。
「それなら、いっそのこと、しばらくここに滞在しろ。その間、アンドレがここでお前の腕を見てやる。…よし、決まりだ」
エイヴリルが反論する間も与えず、ボブはさっさと立ち去った。
アンドレは慌ててその場を立ち去ったボブの後ろ姿を見て、思わず笑い出した。エイヴリルもにっこり笑った。目はさりげなくクリオを一瞥したが、ぴたりと彼に見つかってしまった。
二人は視線を交わした。彼女も内心何となく察していた。笑いながらクリオの頭をポンポンと叩いた。この小悪党め!