「お母さん、もう泣かないで。行くよ、行けばいいんでしょ?」
斎藤詩織は小林の母が泣くのが一番苦手だった。小林の母が泣くのを見ると、彼女まで泣きたくなった。
二人とも前田紫月がどんな人間かよく知っていた。
もし将来紫月が本当に小林家に入ることになれば、小林の母の日々は苦しいものになるだろう。
「詩織、ありがとう。あなたはいつでもお母さんの良いお嫁さんよ。」小林の母は詩織を抱きしめ、涙を流し続けた。
「お母さん、上に行ってくるね...」
「行っておいで。」
小林の母の励ましを受け、詩織は勇気を出して階段を上がった。
彼女は小林颯真の部屋のドアを開け、浴室へと真っすぐ向かった。
部屋の中には水の音と彼女の心臓の鼓動しか聞こえなかった。
浴室のドアには鍵がかかっておらず、彼女は隙間から滑り込んだ。
詩織が入ってくるのを見て、颯真は素早くバスタオルを掴んで下腹部を隠し、厳しい声で問いただした。「何しに入ってきた?」
詩織は思い切って言った。「私が入浴してるときにあなたは入ってきたでしょ。あなたが入浴してるところを私も見に来るのは当然よ。そうじゃないと損じゃない!」
「出て行け!」
颯真の整った顔が赤くなったり青ざめたりした。
彼はこれまでの人生でこんなに恥ずかしい思いをしたことはなかった。
女に揶揄されたのだ。
「まだ見足りないわ。」詩織は不良っぽく口笛を吹いた。「あらあら、ダーリン、いい体してるじゃない。まあ、六つに割れた腹筋がカッコいいわ、腰のラインがセクシー。そのバスタオルもう少し下げてみて、じっくり見せてよ。恥ずかしがらないで、もう夫婦なんだから、別に問題ないわ。」
「誰がお前と老妻老夫なんだよ。」
結婚して3年経っても、彼と彼女はまだよそよそしかった。
親しいとすら言えないのに、どうして老妻老夫と呼べるだろうか。
「もちろんあなたよ、ダーリン。年を取って認知症になったの?自分の妻すら認識できないなんて」詩織は彼に近づきながら言った。「ほら、見せて。まだ治る見込みがあるかどうか確かめるわ。」
「出ていけ!」颯真は完全に怒り、詩織が伸ばした手を払いのけ、シャワーの下に立って冷水を頭から浴びた。
水が手にかかると、冷たさが伝わってきた。
詩織は驚いて言った。「ダーリン、どうして冷水を浴びるの?風邪ひいちゃうでしょ!」
そう言いながら水栓を調整しようとし、自分にかかる水も気にしなかった。
彼女は白地に小花柄のシフォンワンピースを着ていたが、水に濡れて体にまとわりつき、曲線がくっきりと現れた。
颯真が見下ろすと丁度襟元が見え、熱い血が頭に上り、鼻血が出そうになった。
彼は鼻を押さえ、顔を上げて冷水を浴び続け、ようやく熱が引いた。
詩織が水を温めると、颯真はバスローブを着て外に出ようとした。
「ダーリン!」
彼女は慌てて追いかけた。
小林家の盛衰は彼女の肩に乗っていた。栄光ある偉大な使命を背負い、途中で投げ出すわけにはいかない!
「近寄るな、触るな。」颯真は常に警戒を怠らず、詩織が自分の周囲3メートル以内に入ることを禁じていた。
「ダーリン、お母さんが来年孫を抱きたいって言ってるの。お義母さんのその願いを叶えてあげましょうよ!」
詩織は指をいじりながら、唇を尖らせ、颯真に向かって一生懸命まばたきした。
彼女が色気を出しているつもりのしぐさは、颯真の目には瞼が痙攣しているようにしか見えなかった。
美しさはなく、ただ滑稽さだけがあった。
冷水を浴びた後も体はうずうずしていて、颯真はようやく自分が母親に計算されていたことに気づいた。
彼は詩織を睨みつけた。「女は自分を安売りするな。自分を愛さない男に迫るなんて、一生尊重されないぞ。」
颯真の目に映る自分はこんな姿だったのか。
詩織は泣きたいのに泣けなかった。「私たちは夫婦でしょ...」
「もうすぐそうじゃなくなる!」
詩織はひるんだ。ついに来るべきものが来たのだ!